2013年9月3日火曜日

震災を考える

(JR仙石線野蒜駅)

9月2日午前8時。
NHKで「あまちゃん」が放送されていた。
この日のあまちゃんは、主人公が東日本大震災に遭遇するという設定である。

前日9月1日は防災の日と言うこともあり、多くの震災関連報道がされていた。
その中で私は、NHKで13時05分から放送された
「特集・明日へ支えあおう 被災地の今を知っていますか?」
と、15時55分からの
「こころフォトスペシャル『記憶の森が命を紡ぐ』」
を録画して見た。
そして今、9月3日2時15分からKFB福島放送で流れている
「テレメンタリー2013『失われていく故郷~宮古・田老地区からの報告』」
を見ている。
金曜日には大学の研究室へ行って、指導教授と「四川大地震と東日本大震災」についてしゃべった。
お盆休みには松島の親戚の家へ行って、石巻・女川、金華山界隈の話を聞いたり、仙石線代行バスに乗って東松島へ出かけた。

私の家は震災で誰も欠けることなく、祖母の家は地震で全壊して今はないけど、津波で流されることもなかった。
第一、自分が育った家が壊れたわけではない。

テレビでは、子ども・妻・両親を亡くして自分1人だけが生き残ったという人も出ていた。
今なお東京の公務員宿舎に避難している家族も取材を受けていた。

亡くなった方、行方不明になった方、合わせて2万1000人あまり。
1人1人に人生があって、その人を取り囲む人がいて、災害がその人の人生を変えていった。

沿岸部は出かける度に、瓦礫が片付いて、撤去されて、整地が進んで、護岸工事が終わって、と目に見える形でインフラの復旧がわかる。

一方で、福島の放射能災害というのは目に見えないだけに実態がどうなっているのかも分からないし、ここがどれほど危険な場所なのかもわからない。
安全だと言われても、福島市の放射線量は平常の8倍。
普通に暮らしてはいるけれども、気持ちよく深呼吸はできない。

外から来たよそ者がこの程度でストレスを感じるくらいなのだから、自宅をバリケードで覆われた避難指示区域の人たちの想いは、どれほどのものだろうかと、想像を絶する。

岩手や宮城、茨城・青森の沿岸部は、少しずつ先が見えてきたようだ。
でも、福島県はまだまだ先が見えない。
ここはどのくらい安全なのか、除染はどのくらい効果があるのか、震災前の自然に戻るには、あとどのくらいかかるのか。
避難している人は30万人。
福島県民は200万人。
日本国民は1億2700万人。
日本全体からしたら福島県の人口なんかわずか1.5%。
見捨てられるのではないか、と思ってしまう。
私は東北地方の東日本大震災を考えるのではなく、福島県の東日本大震災を考えて、卒業論文をまとめようと思う。

震災当時を再現する番組の多くで、生き残った人にとって一番大事な所を映していない気がする。
それは、目の前から一斉に物がなくなるという体験。
24時間営業が当たり前で、いつ行っても食べ物が売っているコンビニが閉店すること。
ATMすら動かないということ。
あれほど豊富に物が置いてあるスーパーマーケットから、一斉に物がなくなるということ。
惣菜、カップ麺、飲料はもちろん、冷凍食品、お菓子まで。
サトウのごはん3パック入りが500円で売られるような世界。
それが飛ぶように売れていく。
物がこれほどあふれている日本だけど、本当はすぐになくなってしまうのだな、と知った。
ただただ感情的に煽るのではなく、その時何があったのか、ということも伝えるべきではないのかな、と思う。

4年間という限定された期間で福島に来て、ここで友達がたくさんできて、1年目で被災して、東日本大震災は私の大きな影響を与えた。
これからも福島のことは考え続けていくし、しばらくしたら福島に戻りたいと思っている。

福島で問題なのは、見通しが全く立たないことだと思う。
原発が福島にもたらした恩恵は大きいけれど、何かが起きた時、それ以上の代償を払うことになるのだということを、もっとみんな知ってくれればな、と思う。
福島の復興への道のりは、果てしなく長い。
私は、そう感じる。

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