2013年4月14日日曜日

【国内旅行】いにしえの都をたずねて『そうだ京都、行こう』


44()は、午前6時半に起きた。
一晩を共に過ごした勤めの友人をホテルの部屋から見送り、天気も良かったのでこのまま1日をスタートさせようかとも思ったけど、睡眠不足のために途中で疲れたらせっかくの旅行が台無しになってしまうので、二度寝することにした。

次に目が覚めたのは10時過ぎだった。
ホテルは正午までにチェックアウトすれば良いので、まだまだ余裕である。
シャワーを浴びて水を飲み、身支度を整える。
11時にチェックアウトして、いざ出発。
フロントの執事に「『551HORAI豚まん』を食べたいのですが」と伝えると、ハガキサイズの地図を取り出てスマートに説明をしてくれる。
ホテルの部屋からの眺めも良く、良い1日は優雅な朝から始まるのだなと思った。
この時はまだ知らなかったのだが、私のイメージでは551HORAIは豚まんの専門店で、屋台のようなお店で営業しているのかと思っていたが、実際に行ってみたら王将よりも落ち着いたエレガントな中華料理店であった。

ホテルを出て、フロントに言われた通りに道を進む。
みずほ銀行の角を右折して、「ドーチカ」と呼ばれる大阪駅に直結した地下街を歩くとまもなく、左手に551HORAIが見つかった。
まだ昼前ということもあり、店内は空いている。
早速、お店に入って豚まんとマーボー卵丼を注文。
関西弁の威勢の良い声が店内に響き渡る。

ほどなくして注文した料理が運ばれてきて、豚まんを口に含むともっちりとした触感にジューシーな豚肉がとろけ、「これ噂の551豚まんなのか!」と感激する。
その味は今までに食べた豚まんの中で最もおいしく、それでいて値段が良心的なことに驚いた。
マーボー卵丼の方もなめらかで、大変満足だった。
王将も551も、値段の割に量が多くておいしい。
サイゼリヤや幸楽苑のように、とにかく安く提供する東日本のレストランとは違い、どうして大阪のレストランは安くおいしく提供できるのだろうかと、不思議に思った。

大満足の551を出発して、ドーチカを歩く。
梅田駅を1210分に発車する阪急京都線の特急電車に乗り、一路京都をめざす。
10分間隔で特急が走る阪急京都線は、昼時の電車でも座れないほど混雑しており、JRの新快速には劣るものの時速115kmで走る。
1244分に桂に到着し、ここで阪急嵐山線に乗り換えるのだが、タイミングが悪く、嵐山まで7分の区間のために16分も待ち時間が生じてしまった。
その間に花見客が増えてきて、13時に桂を発車した時には、朝の山手線みたいな状況になっていた。



(阪急嵐山駅)


1307分、満開の桜が舞う阪急嵐山駅に到着した。
ここから渡月橋を渡り、嵐電の嵐山駅をめざす。
平日の木曜日にも関わらず、桂川の両岸は花見客で大変賑わっており、春の京都ということである程度は覚悟していたから良かったものの、これ以上の混雑であったら少し萎えたかもしれない。
しかし、一瞬の間に咲き誇る満開のソメイヨシノの下では、このくらいに花見客が湧き出た方が合っているのかもしれない。

渡月橋を渡るにも時間がかかるが、1人で自分のペースで回れるので、特にストレスは感じない。
立ち止まっては写真を撮り、また立ち止っては物思いにふけった。
渡月橋の周辺におみやげ店がいくつも軒を連ねるが、そのうちの1店舗でもしっかりと観光事業を確立させて、京都で得たノウハウを元に日本各地でチェーン展開しないものかと、ビジネスチャンスを考えたりもした。
国内のおみやげ店はどこも小規模で経営しているイメージである。
最近の様々な業界に見られる「産業化(人々の生活に欠かせないもの)」にできないのだろうか。
コンビニエントストアやファミリーレストランのように、おみやげ屋も、有名な企業をいくつか挙げられるような状況になれば、価格交渉力も持つようになり、より消費者に有利になるのではないだろうか、と考える。
渡月橋のおみやげ屋がやらなければ、おそらくは星野リゾートあたりがおみやげ店の大規模運営にでも乗り出すのかな、と考えたりして春の嵐山を散歩した。



(桂川を渡る屋形船)


つづいて嵐電「嵐山」駅を1343分に発車する四条大宮行きに乗る。
多客期のためか2両編成での運転であったが、それでも乗り切れないほどに混雑していた。
私の向かいには、制服からしておそらく修学旅行で来ている海城中学校の生徒が、自由行動で規則を破った行動をしているらしく、担任の何と伝えるべきかと言い訳を考えて盛り上がっていた。
途中の帷子ノ辻駅で北野線に乗り換え、御室仁和寺駅で下車。
予定では、仁和寺から龍安寺、下鴨神社、八坂神社、円山公園、清水寺と周遊するつもりだったが、京都御所の一般公開がなされているということで、龍安寺の代わりに京都御所へ出かけることになる。

仁和寺は初めてだった。
他の桜よりも遅咲きだと知らずに御室桜を見に仁和寺まで出かけたわけだが、まだつぼみの段階で少しがっかりした。
とても暖かく歩き疲れても来たので、御室仁和寺駅に戻って自動販売機で500mlCCレモンを買って、ひと休み。
ふたたび混雑した嵐電に揺られて、北野白梅町へ。
ここで路線バスに乗り換え、烏丸今出川バス停留所で降りる。
1530分までに入場しなければならない京都御所に、ぎりぎりの1529分に到着した。
慌てて入るが、まだまだ後ろには見物客が連なっており、大学の窓口とは違って遅れても少しは余裕に見てくれるところがありがたかった。

京都御所の内部は、決してかつて天皇が住んでいたとは思えないほどひっそりとしているものの、隙間なく巡回している宮内庁の職員と警察官が、かつての宮廷の護衛を思わせて愉快だった。
中でもメインとなる紫宸殿は、1855年に再建されたものではあるが、平安時代から昭和天皇までの約千年にわたって天皇陛下の即位がなされた所であるのかと思うと、日本の伝統文化への誇りを感じた。
ここには中国人観光客はおらず、ほとんどが日本人であり、時折欧米人も見受けられたが、彼らも静かに黙って見学しているのを見て、天皇陛下の崇高さを勝手に再認識した。



(千年の歴史がある紫宸殿)


日が傾いてきて、次は歩いて下鴨神社へ向かった。
ここも参拝は17時までと聞いていたが、実際に到着したのは1655分。
あわわとなって詣でたが、提灯に明かりが灯って、しばらくは参拝できるようであった。
下鴨神社は、農耕の神さまであるが、恋愛にも力をあるというので、数日前に別れた恋人のことを詫びつつ、次の出会いをよろしくお願い奉り申し上げると伝えてきた。

下鴨神社を出た私は、加茂川の桜を見ながら、出町柳駅へと向かった。
京阪電車に乗り、鴨川に沿った地下を南下する。
祇園四条駅で降りると、今度は今までの落ち着いた出町柳とは異なり、賑やかな夕方の祇園に出た。
八坂神社の境内を抜け、めざすは今回の旅行のクライマックス、円山公園の夜桜である。
境内にはいくつもの屋台が出ており、春の夜の京都を演出している。
円山公園に着くと、夜桜見物のための畳を敷いた屋外店舗が出来ており、絵に描いたような宴会が広がっていた。
そしてメインとなる円山公園の祇園枝垂桜は、老いは感じるものの、これまで何万という人を感動させてきた風格が整っていた。



(円山公園の宴会風景)


(闇夜に浮かぶ祇園枝垂桜)


 歩き疲れて甘いものが食べたくなったので、円山公園ではお店のクレープを食べて、エネルギーをチャージ。
復活して円山公園から清水寺へと歩いて行った。
夜の二年坂は落ち着いており、急な階段を登って清水寺へ。
清水寺周辺は相変わらずの人であるが、ここ数年で海外を歩いて来て、気が付いたら無意識のうちにバッグを身体の前にしてスリに合わないように対策できるようになっていた。

夜間入場料400円を払って、清水寺の夜桜へ。

清水の舞台と共演する京都市内の夜景は、とてもきれいだった。


(清水寺と京都市内の夜景)


1930分過ぎに清水寺を後にして、京都駅まで路線バスに乗ろうかとも思ったが、あとは夜行バスで寝ればいいだけなので、歩くことにした。
国道1号線を跨いで、京都国立博物館の角を左折。
左手に三十三間堂を見ながら、鴨川を渡って京都駅烏丸口へ。
30分近く歩いた。

京都駅に着いて、夜行バスののりばを確認。
旅の最後はお決まりビールを1杯飲んで、ハンバーグを食べる。
程良い満腹感で、バスの発車場所へ。
「福島」方面の看板を持ったところで名前を告げる。
すると、「リストにお客様のお名前がありません。」ということで、「あれっ!?」となったが、よく聞いたら「福岡」行きのバスであった。
その福岡行きの隣が、「仙台・福島」方面であり、危うく大変なことになるところであった。

2110分、郡山・福島経由の仙台行き夜行バスは、京都駅八条口を出発。
1時間半ほどで1回目の休憩である滋賀県の多賀SA
まもなく米原JCTで東京方面と分岐して、深夜の北陸道を進む。
2回目は富山県と新潟県の県境にある越中境PA
次に目が覚めた時には日が昇り始めたころで、磐越道の磐梯山SAであった。
磐梯山SAはサービスエリアでありながら早朝のためかお店がすべて閉店しており、除雪された雪が片隅に残されていた。
吐く息は白く、東北に帰って来たのだな、と実感した。
しばらくして郡山駅に到着し、「仙台へお急ぎの方は、鉄道をご利用ください。」とのアナウンスが流れる。
郡山駅を出て国道4号線を走っていると、バスは突然ガソリンスタンドに入った。
営業運行中のバスがガソリンスタンドに入るのには、驚く。
以前にも山形の奥地で、路線バスがガソリンスタンドに入って、予定していた電車に乗り遅れたという経験があったが、これが東北時間なのだろうか。
普段の日本のサービスレベルの高さを認識させられる。

帰りのバスは満席で、隣は優しいおじさんだった。
聞くと、岩手と奈良を月に2回往復しているらしい。
京都を出発した時には簡単なあいさつで済ませ、磐梯山SAから福島までの2時間ほど話をした。
彼は天理教の信者だと言い、自宅のある岩手の花巻と奈良の天理を往復しているのだという。
私は宗教に関心があり、仏教系の宗教信者は知り合いがいるが、教派神道は初めての出会いだったので、少し話を聞いた。
天理教の教徒は一生に一度は天理市へお参りに行かなければならず、天理市は城壁で囲まれた宗教都市だという。
イベントの時には人口の2倍くらいの観光客が集まると聞き、私も次は天理へ社会科見学に行ってみたいな、と思った。

この天理市の話から、私は思いついた。
もし福島県に例えば『放射能之光』とかいう宗教ができ、信者を獲得して聖地巡礼を義務付ければ、原発事故による風評被害はなくなるのではないかと。
さっそくこのことをヨーロッパ経済に詳しい指導教授に相談。
そうすると教授は関心を寄せて話を聞いてくれた。
教授によれば、チェルノブイリ原発の事故のときにも海外の新興宗教が入ることはあったが、現地から新しい宗教が生まれることはなかったと言っていた。
ちなみにそのひとつが、過激化したオウム真理教である。
もし放射能が人体に有効であるということを科学的な視点以外で論理的に証明できれば、宗教をつくることができる。
人口流出が止まらず、未来が真っ暗な福島に、変わった視点からの地域振興に貢献できるだろうと思う。
ただ、宗教の開祖になることはリスクが大きいので、私は妄想程度にとどめておくこととする。

さて、夜行バスはガソリンスタンドを出て本宮ICから東北道を北上し、福島西ICで降りる。
45()の午前8時。
予定通りの時間に福島駅へと戻ってきた。
私はここから811分発の東北本線上り電車に乗り、8時半に部屋に到着。
こうして34(うち車中泊2)のいにしえの都を訪ねる旅は、無事に幕を閉じたのであった。

遠いところの桜は、より美しく見えるものですな。

2013年4月11日木曜日

【国内旅行】いにしえの都をたずねて『南朝の都・吉野』


43()の昼、近鉄奈良駅の前にあるセブンイレブンでおにぎりを買い、1216分発の大阪難波行きの急行電車に乗り込む。
車内は西日本で一般的な転換クロスシートで、2席に1人ずつ埋まっている具合である。
列車は定刻で発車し、まもなく地下区間から地上に出ると、平城京の復元を眺めながら大和西大寺に到着した。

大和西大寺では5分の乗り換え時間があったが、ホームに書かれた行き先案内板の行き先がわからない。
ひっきりなしに電車が到着し、自分の乗るべき電車がどれか分からなかったが、駅員に聞いてようやく分かった。

大和西大寺を1226分に発車した橿原神宮前行き急行電車は、すでに各駅停車の区間に入っており、一駅ごと丁寧に停まって行く。
穏やかな天気の下で、のんびりとした車内は眠気を誘った。
うとうととしていると、30分ほどで終点の橿原神宮前に到着した。
ここでは3分の乗り換え時間で、吉野行きの電車に乗り換えるのだが、橿原線と吉野線のホームは思いの外、遠くにあり危うく乗り遅れるところであった。
時刻表検索では歩く速度「普通」に設定しているが、年寄りなら間に合わないだろうと思った。

無事に橿原神宮前駅での乗り換えを終え、1258分に発車の急行吉野行きに乗った。
これまた大和西大寺から橿原神宮前までの橿原線と同じように、「急行」というのは名ばかりで、すでに各駅停車の区間に入っていた。
近鉄のレール幅は標準軌の1435mmが一般的だが、この吉野線を含む南大阪線系統はJRと同じ1067mmの狭軌が採用されている。
これは関西本線と連携して、秋田杉や木曾桧と並び日本三大美林のひとつである吉野杉の貨物輸送が行われたからである。



(近鉄「吉野」駅)


今度は単線の線路を列車交換のために幾度となく長時間停車し、1時間近く電車に揺られて1352分、吉野駅に到着した。
ここから奈良交通の臨時バスに揺られ、中千本公園へ。
運賃350円でICカードリーダーがあったのでSuicaをタッチしたら、「ピー」と鳴って運転手さんに「Suicaはまだ使えないんですよ」と言われてしまった。
やはりバスへの導入はもう少し時間がかかるようである。

吉野は、紀伊半島の中部に位置し、奈良盆地の南に位置する。
高地・盆地・山岳地帯が併存する。
口吉野は吉野川流域、奥吉野は十津川・北山川流域である。
吉野川は紀ノ川となって紀伊水道へと流れ下り、十津川と北山川は熊野川となって熊野灘へ注いでいる。
熊野地方(三重県南部から和歌山県南東部まで)と並ぶ多雨地帯であり、台風銀座でもある。
サクラの名所としても知られるが、多くは吉野の名を冠したソメイヨシノではなく、ヤマザクラの類である。
2004年には、吉野・大嶺を含む紀伊山地の霊場と参詣道が、ユネスコの世界遺産に登録された。


(吉野の桜)


中千本公園で降りると、気温は5℃と肌寒かった。
桜はまだ咲き初めで、地元の人が言うには4月中旬が見頃だという話であった。
福島市にも、写真家・秋山庄太郎が「福島に桃源郷あり」と紹介した花見山公園があり、こちらは本当に美しく福島に住み始めてから毎年見に行っていたが、古文でも出てきた吉野山の桜はさぞかし美しいのだろうといつも思っていた。
そこで満開ではなくとも良いので今回足を延ばしてみたわけだが、花見山公園よりもスケールが大きく、さらに街並みが整備されており、南北朝時代の南朝をイメージすることができた。
陸奥国の花見山公園がこの世の桃源郷であるならば、吉野は花見の名所にふさわしいであろうと思った。



(吉野山のおみやげ店)


(蔵王堂から吉野駅を望む)


中千本公園からおみやげ店を通り蔵王堂を横目に吉野の桜を十分に満喫して駅まで歩いてきた。
だいぶ歩いたので水分を取ろうとポカリスエットを自動販売機で買い、電車に持ち込んで飲んだ。
吉野駅を1607分に発車した近鉄南大阪・吉野線の急行「大阪阿倍野橋」行き電車は、橿原神宮前まで各駅に停まり、そこから古墳を避けながら一路大阪市内をめざした。
ポカリスエットを飲んだせいか途中でトイレに行きたくなったが、通勤電車にトイレは付いていなかった。
途中駅で降りて次の電車を待つほどでもないので、我慢して阿倍野橋まで。
4両編成の急行電車は、古市で2両増結する。
こうして日没前の1743分に終点の大阪阿倍野橋駅に到着した。


(高さ300m「あべのハルカス」)


大阪阿倍野橋駅は、天王寺駅にも隣接しており、昨年の8月に一度訪れている。
その時は飛田新地とあいりん地区を見学したが、その時は見過ごしてしまったものの、ここは再開発で地上300mの「あべのハルカス」が建設されているのであった。
60Fから下を眺めたら、飛田新地もあいりん地区も隠すことなく観光客に見られてしまいそうであるが、果たして問題ないのだろうかと疑問に思う。

2014年春に開業の「あべのハルカス」を地上から簡単に眺め、今度は天王寺駅から地下鉄御堂筋線で、本日のお宿である堂島をめざす。
当初はJRに乗って大阪駅から歩こうかとも思ったが、淀屋橋駅から歩いた方が近いと思い、地下鉄に乗った。
ラッシュアワーの地下鉄は混雑していたが、やはり車両の作りからだろうか、東京都内の地下鉄とは車内の雰囲気が異なっていた。
特に照明や広告の配置が気になり、マレーシアで乗った地下鉄に近い感じがした。

淀屋橋駅に到着して、中之島を通って堂島浜にある全日空ホテルにチェックイン。
日本の旅行サイトで予約すると結構な値段だが、海外のサイトで申し込んだので、一般的なビジネスホテルと変わらない値段で泊まることが出来た。

夜は、この春からお勤めされている友人と食事する約束で、20時に阪急梅田本店の前で待ち合わせた。
彼とはケニアで知り合い、インドや南米も一緒にでかけた。
1年に23回は会い、最近では2月に福島で食事した。
そんな頼れる彼の一押しのお酒である「福寿」をいただきながら、大阪の夜を楽しんだ。
居酒屋を出て、〆に食べた本場大阪のたこ焼きにこんにゃくが入っていたことが忘れられない。
その晩はホテルに一緒に泊まり、もう一度部屋に戻ってから飲み直し、3時過ぎまで盛り上がってしまった。

明日は、今回の旅行の目的でもある、京都の桜を見に行きます。

2013年4月10日水曜日

【国内旅行】いにしえの都をたずねて『鹿の神さまに会いに』


201342()から5()にかけての34日で、福島から京都・奈良へと出かけてきた。
今回の旅の目的は、いにしえの都に咲く桜を訪ねることである。

今年の東北の冬は、長かった。
シーズンを通しての積雪量はそれほどでもなかったが、一度にまとまって降るので、だいぶ雪が多く降った印象だった。
また、就職活動に関連して、1月から3月までの3ヵ月間で、福島と東京を約10往復もしたこともあり、東京でいち早く桜を見ては、まだつぼみの福島に帰って来て、ため息をついていた。
せっかくだから、今年は思い切って遠くの桜を見に行こう!と思っていたところで、41日に就職活動も終わったことで、リフレッシュにと関西へと向かうことにした。

当初の計画では4月の中旬に出かける予定だったが、桜の満開も早まっているということで、だいぶ前倒しでの出発となった。
412日から仙台空港と関西空港の間で運行を開始するLCCを利用したいとも考えたが、そこまで待っていられないので、2日の明け方に福島と京都の高速バスを予約した。
高速バスは片道4800円と大変お得で、予算が十分に余ったので、ホテルは大阪の全日空ホテルを予約した。
直前の決定で、満足できるか不安でもあったが、とりあえず桜を見ることが目的なので、あまり高望みをせずに出発することにした。

出発の夜。
42()の福島は、あいにくの雨模様だった。
折りたたみ傘を差しながら金谷川駅まで歩き、2020分発の福島行き普通電車に乗る。
この電車は以前まで仙台行きの電車であったが、316日のダイヤ改正で福島に到着後5分の停車で、折り返し黒磯行きの運用に就くという忙しい運用になっていた。

金谷川を出発して10分で福島駅に到着。
駅前のなか卯で牛丼を食べて、駅のトイレで歯磨き。
セブンイレブンで夜食を購入して夜行バスに乗車。
雨の降る福島駅西口を2110分に発車した。
乗ったバスは桜交通という格安のツアーバスで、仙台と大阪を片道14時間、4800円で運行している。
途中、福島、郡山、京都に停車するが、東北と関西の間はどこで乗り降りしても料金は変わらない。
3列シートのJRバスとは異なり桜交通は4列シートであるが、車内では無線LANとコンセントが利用でき、さらにフットレスもついてかなり快適であった。
しかも行きは12席使うことができ、横になって眠ることができたので翌日とても楽だった。

福島駅を出発したバスは、まもなく福島西ICから東北自動車道に入り、31km走った本宮ICで降りる。
国道4号線をしばらく走り、郡山駅で数人の客を拾う。
2220分に郡山駅を出発し、今度は郡山ICから東北道に乗り、まもなく郡山JCTから磐越道へ入る。
郡山から峠道を140kmほど走り、日付が変わった頃に新潟中央JCTから北陸自動車道に入り、最初の休憩は午前1時過ぎに、長岡JCTで関越道が分かれたあとの米山SA20分間取られた。
前回の休憩場所であった郡山駅からは245km走っている。
この後はしばらく寝てしまい、知らぬ間に富山県、石川県と抜けて、次の休憩は4時頃に米山SAから250km走った福井県との県境にある尼御前SAで取られた。
二度寝をはじめて寝ている間にバスは米原JCTから名神高速道路に入り、730分頃に京都南ICを出て、定刻より10分ほど早い午前750分に京都駅八条口に到着した。

朝の京都駅。
通勤客に混ざってマクドナルドで朝食。
824分発の近鉄京都線、急行「天理」行きに乗る。
JR東日本のSuicaで自動改札機を「タッチ&ゴー」。
高校生や同志社大学の学生と一緒に電車に揺られ、大和西大寺で阪神電車から直通の快速急行「奈良」行きに乗り換える。
車窓から平城京の復元を眺め、916分に近鉄奈良駅に到着した。


(奈良氷室神社の桜)

駅を出て東へ歩く。

左手に奈良県庁があり、右手に奈良国立博物館がある。
県庁前も静かで落ち着いており、それでいてところどころ街のつくりなどで歴史を感じられ、良い所だなと思った。
かつて中学校の修学旅行で奈良市内を通過したが、実際に1人で歩くと、街の雰囲気を感じることが出来た。
そして何よりもインドの牛みたいに、野生の鹿があちらこちらで人に混ざっており、彼らを柵で囲まない奈良の寛容さを感じることが出来た。


(鹿に化けた春日大社の神さま)


(東大寺大仏殿と桜)


駅前から歩いて奈良公園に入り北へ向かい、東大寺大仏殿を見物。
外国人には優しい窓口のおばさんも、日本人観光客には素っ気ない。
正倉院の建物を見ようと奥へと進むが、あいにく改装工事中で外観すら見ることが出来なかった。
ただ正倉院の近くまで行って、「ここがシルクロードの終点か」と感傷に浸り、二千年前の地中海から中国にかけての長い道のりをイメージした。



(春日大社の参道)


(春日大社とさくら)

東大寺をあとにして次に向かったのは、春日大社である。
こちらは森の中で荘厳に建っており、境内の小さな神社でも結納が執り行われていた。
このように世界文化遺産でありながら、今日でも広く国民の生活の一部として息づいているところに感動した。

春日大社をあとにした私は、近鉄奈良駅へと戻り昼過ぎの電車で、今度は吉野へと向かうことにした。

2013年4月8日月曜日

【PC投稿】1年間の春休みを迎える

こんばんは。
いかがお過ごしですか?

大学卒業後の進路が定まりました。
私は、就職難が盛んに言われている中で、4月1日に無事内々定の連絡をいただきました。
急激な景気悪化などが起きなければ、来年の春から社会人になります。

就職先はコンサルティング会社という厳しく、流動性の高い業界です。
しかし、外資系こそ受からなかったものの、3年以内の離職率が3%という業界では異色の会社に入ることが決まりました。
この会社は、私が就職活動を始めて最初に出会った会社であり、説明会の段階から一目惚れしていました。
その後も他社を数社周りましたが、結果的には最初の一目惚れした会社で落ち着きました。

大学の友人たちもちらほらと進路が決まり始めており、いよいよ最後の1年になったのだな、と実感しております。

それでは、私の就職活動を紹介します。

私は2013年1月から3月までの3ヵ月間に、福島と東京を8往復、福島と仙台を2往復しました。
この他、私用で福島と東京を別に2往復しております。

福島と東京を往復した8往復の内、半分の4往復は新幹線、残りの4往復は高速バスを利用しました。

合同説明会への参加とOB・OG訪問はしておらず、個別の会社説明会には10社訪問し、エントリーは6社しました。
ちなみに、12月の就活解禁と同時に始まるインターネット上でのプレエントリーは、136社行いました。
最初はダイレクトメールの嵐で大変でしたが、12月いっぱいかけて自分で把握できる30社まで絞りました。

実際にエントリーした6社のうち、書類不合格は1社、5段階の3次選考で不合格となったのが1社あり、残りの3社は書類選考が通過しており、今回の内々定の連絡を受けて辞退しました。

今回は大学受験の時とは異なり、納得のいく形で早くに進路が決まったので、自分でも驚いています。

今後は、顧客から指名して頂ける優秀なコンサルタントをめざして、勉強をつづけていくつもりです。
まずは高校時代から夢見て、大学から勉強を始めた公認会計士の2013年12月短答式の合格をめざして、1年間集中して勉強します。

大学の単位を取り終え、就職活動も終わり、恋人とも別れました。
この12ヵ月、2度目の春休みを謳歌しようと思います。