2014年12月30日火曜日

2014年の振り返り

ご無沙汰いたしておりました。
社会人になってブログを更新する余裕がなくなったというか、Facebookの方へ気持ちが移ってしまっているというか、あまりこちらの更新には向きませんでした、

さて、今日はお盆休み以来の東北です。
福島を離れてからお盆休みまでの間は毎月のように東北へ出かけていましたが、このところは東京でも忙しくなってきたのか、あまり東北へ足が向きませんでした。

社会人になって初めて在来線で福島へ向かいます。
すっかり新幹線での移動が定着してしまっていました。
なんと贅沢なのでしょう。
仕事の関係で5時台に都心を移動することにも慣れ、今日も上野駅を5時46分発という時間帯にも関わらず、普通に移動できました。
普通車はガラガラですが、グリーン車の方は乗車率50%近く、かなり混雑しています。
みなさん在来線で遠くまで出かけられるのだな、と思います。

上野を定刻に発車した東北本線の宇都宮行き電車は、まだ夜も明けぬ都心を走り、荒川を渡って埼玉県に入ります。
大宮に着くころには少しずつ夜空が薄くなり、東の空が明るくなったのは利根川を渡って茨城県に入ってからでした。
これから向かう東北は大荒れなのかな、と期待が膨らみます。
福島で4年間過ごしたことで、冬に雪のない寂しさを実感します。

普通車グリーン車に乗りながら、この1年間を振り返ることとしました。

1月はお正月から、風邪を引いて寝込んでしまいました。
そして1月末には今の住居を決めて、夜にいわきへドライブへ行ったりしました。

2月は最後の福島生活を満喫しました。
図書館で朝から夜まで本を読んだり、バイト先の雪かきが終わったあとに箕輪スキー場へ行ったり、あと会社の同期の人たちと猪苗代でスノボーもやりました。

3月はいよいよ卒業。
少しずつ引っ越しも進めて、東京と福島の二重生活でした。
飯坂温泉の追いコンや、卒業式前日の飲みは思い出です。
そして卒業式の後は、最終の新幹線で友達と上京してきました。
さよなら、福島。また会う日まで。

4月、入社式から始まりました。
芝公園の東京プリンスホテルで会社人生は始りました。
その後1週間は熱海でグループ会社合同の研修、それから2週間は大津で単独の入社時研修がありました。
東京に配属されたのは大型連休の3日前でした。

5月の大型連休は東京で過ごしました。
連休が終わると拠点配属後の研修が始まり、実務に触れていきました。

6月は就職後、初めて福島へ戻りました。
1泊2日でしたが久しぶりに息抜きが出来たことは大きかった。

一番しんどかったのは7月かもしれません。
新生活にも慣れ切れておらず、福島へ戻りたい気持ちでいっぱいでした。

そして8月、やっと来たお盆休みで宮城の親戚宅に1週間まるまる滞在。
宮城、福島、山形、岩手と東北を満喫して、最終日に東京へ戻る電車の中で、覚悟ができました。

9月は英気を養ってきた勢いがつきすぎたのか、空回りしてしまったこともありましたが、それもなんとか乗り切りました。

10月は自分の誕生日と同じ日に会社に和室が完成して、不思議なご縁を感じました。
また神楽坂に福島に関わりのあるお蕎麦屋さんを発見したのも10月でした。

11月は紅葉の季節だというのに結局遠くへは出かけずに、井の頭公園で紅葉狩りをしました。

いよいよ年の瀬となった12月。
入門研修のまとめが京都であって、そこへ向けて準備をしたり、新しいお客さんに連れて行ってもらったりして、慌ただしく1カ月が過ぎてしまいました。
クリスマスというクリスマスも過ごさなかったなって。

振り返れば就職してからあまり夢とか希望から離れてしまっていたかな、って思います。
今月はいろいろと新しくしたし、2015年はもっと積極的に挑戦します。
40歳の自分から今を見たら、どうすべきか。
今、何をすれば、理想の40歳になれるのか。
時の流れは早い。
1日1日の小さな積み重ねが大事だということに気づいた社会人1年目の2014年でした。

小さなことひとつで隣の人と競ってしまう感じがあるけど、自分自身との戦いなんですよね。
隣の人はたまたまその時に隣にいただけであって、主人公は自分。
もっとたくさんの本を読み、もっといろいろな人に会いたいです。

「こんなはずでは…」で終わらせないために、夢と希望を持って、2015年も攻めていきます。
今後ともよろしくお願いします。

上野から乗った普通電車はまもなく宇都宮に到着です。
黒磯を越せば、いよいよ福島も見えてきます。
では4カ月ぶりの東北、満喫してきます。

それでは良いお年をお迎えくださいませ。

2014年8月16日土曜日

夏の思い出2014


就職して初めての夏休みを迎えました。
8/10()8/17()1週間です。
東京の生活にもなかなか慣れずに4カ月が過ぎてしまいました。
7月の中旬には2週連続で福島へ出かけていて、東北が恋しくて仕方ありません。
8/9()は、出勤日でした。
日報を提出するのに時間がかかってしまい、会社を後にしたのは午後9時。
それから先輩社員と同期と3人で飲食店へ寄りました。
今日が土曜日であるということを忘れていて、金曜日の感覚でいたら危うく最終電車に乗り遅れるところでした。


【東京駅から東北新幹線に乗車(2014/08/10)】


日も変わり、翌日8/10()は午前7時に起きました。
出発まで2時間もあり、ニュースを見ながら余裕な気持ちで準備をしていたら9時を回ってしまい、慌てて部屋を出ました。
神楽坂駅から地下鉄東西線に乗り、大手町駅から東京駅まで歩きます。
新幹線の発車までおよそ15分です。
スーツケースを引きながら早歩きで東京駅の改札口を入り、ごった返しになっているコンコースを進みます。
そしてエスカレーターを上がると、新幹線はすでに停まっていました。
東京駅948分発やまびこ177号仙台行きに乗り、曇り空の都心を進みます。
JRの予約サイトでは、乗車する新幹線がほぼ満席になっていたのですが、東京駅を発車した時点では、それほどの混雑ではありませんでした。
上野駅でもそれほど混まず、のんびりとした時間が流れます。
車掌さんが社内アナウンスで停車駅の到着時刻と車内設備の案内を終えたあと、「目的地までごゆっくりとお寛ぎください」と一言付け加えたことを粋に感じました。
住宅街を抜けると大宮駅です。
ここでは多くのお客さんが乗ってきて、車内はいよいよ満席になりました。
まもなく一面に田んぼが広がり、関東平野を北へ進みます。
宇都宮駅を出ると眠くなり、那須高原を越えて郡山駅に到着です。
ここで3分の1くらいのお客さんが降りて、郡山駅から15分で福島駅です。
福島駅では山形新幹線つばさ号と切り離しがあるので、少し停車しました。
大宮駅から隣に掛けてきた男性も福島駅で降りていきました。
そして福島駅を発車して20分あまりで仙台駅に到着です。
ここで岩手県に帰省する会社の同期とたまたま遭遇し、記念撮影をしました。
仙台駅からは1207分発の仙石線に乗り継ぎ、12時半過ぎに高城町駅で迎えの車に乗り込み、古川へ向かいました。
古川では親族17人が集まってバーベキューを楽しみました。


8/11()は古川で過ごしました。
午前中はカメラのキタムラへ行って親族で撮影した写真をプリントアウトして、夕方に三本木町にある温泉「八峰荘」へ行きました。
温泉に浸かり、夕食をいただいて、松島町へ移動しました。


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


8/12()は松島町から車で岩手県奥州市にある「えさし藤原の郷」へ行きました。
築館インターから東北道に入り、水沢インターで降りました。
奥州市内に入り、盛岡冷麺と焼き肉で有名な「やまなか家」で午前11時の開店と同時に入店して、昼食をいただきました。
お会計のときに、レジの横にある家庭教師のパンフレットを拝見したら、大学の後輩が教師として写っていて、思わず声を上げてしまいました。
お腹も満足して本日の目的地であるえさし藤原の郷へ。
さすがはお盆休みということもあり、とても混雑しています。
えさし藤原の郷は、「みちのくのハリウッド」とも呼ばれる大がかり映画の舞台が展示してあります。
数々の大河ドラマのロケ地として取り上げられ、その他のさまざまな番組で出てきます。
以前から行ってみたかったのですが、駅から遠いということもあり、なかなか実現しませんでした。
とても満足したテーマパークでしたが、私が最も気に入ったのは、テーマパークの隣にある資料館でした。
資料館には、水沢の歴史が紹介されており、奥には仏像が数十体も並べられた部屋がありました。
そこの部屋の独特な雰囲気が、とても良かったです。
予定ではえさし藤原の郷の後に平泉へ行くつもりでしたが、ゆっくりと見すぎて午後4時を回ってしまったので、今日はここだけで終わりにすることにしました。
帰りも来た道を戻り、塩釜市のビッグエコーでカラオケをしてから松島町へ戻りました。


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【塩釜神社(2014/08/13)】


8/13()は、松島駅を午前1109分発の電車に乗って、山寺へ向かいました。
仙台駅から仙山線に乗り換え、山寺に着いたのは午後1時過ぎです。
途中、作並駅から山寺駅までの峠の区間で、携帯電話の電波が連続して圏外になりました。
このような山奥がとても良いです。
宮城県と山形県の県境に、奥日川(おくにっか)駅という駅があるのですが、この近くにはニッカウィスキーで有名な「宮城峡」の蒸溜所があります。
ニッカウィスキーの「ニッカ」は、この「日川」に由来するのかと思って調べたところ、関係はなく、ニッカウィスキーの創業者である竹鶴政孝翁も名前の一致に驚いたということでした。
そんなことをスマートフォンで調べながら山寺に到着しました。
大学に入ってから立石寺は何度も訪れており、階段のペースもすっかり身についています。
家族連れの観光客を横目に、一人で黙々と階段を登ります。
目的地の五大堂から眺める風景をシャッターに収め、階段を下り始めた時に、大きな荷物を背負った郵便局の配達員さんとすれ違いました。
郵便局の方は、毎日この長い階段を上って郵便物を届けているのだな、と思うと、ご利益も相当のものだろうなと思いました。
山寺駅に戻り、1時間ほどの滞在で仙台へと戻る電車に乗り込みました。
次に塩釜市の桂島へ行こうかとも思いましたが、船の時間が合わないので、塩釜神社へお参りすることにしました。
東北本線の塩釜駅で降りて、神社まで歩きました。
裏参道から神社に入り、長い階段を登ります。
境内に着くと、山寺とは違って塩釜神社は観光客がほとんどといなく、とても静かでした。
お盆休みは山寺よりも塩釜神社の方が落ち着いていて良いな、と思いました。
そして参拝を終えて、本塩釜駅から仙石線に乗り込み、高城町駅へと戻りました。


【復旧した区間を走る石巻線(2014/08/14)】


【女川町内(2014/08/14)】


【金華山行き観光船のりば(2014/08/14)】


【岸壁の修復が進む女川(2014/08/14)】


【金華山行き観光船にて(2014/08/14)】


【岸壁の修復が進む女川(2014/08/14)】


【東北電力・女川原子力発電所(2014/08/14)】


8/14()は、金華山へ行きました。
松島町を午前9時に出発して、10時過ぎに女川町の金華山行き観光船乗り場に到着しました。
辺りは瓦礫の撤去が済み、一面の野原となっていました。
丘の上に立つ町立病院まで津波が押し寄せてきたと聞き、自然の恐ろしさを改めて感じました。
金華山行きの船は、以前はとても大きな豪華客船で、小さい船に変わったことは聞いていましたが、思ったよりも小さな船で驚きました。
しかし、時速80kmも出る高速船で、東北・北海道では一番早い船だとアナウンスがありました。
船は動き始めると本当に早く、女川町から金華山まで40分で着きました。
途中、女川原子力発電所も眺めることができ、とても興味深かったです。
船を降りて金華山黄金山神社の送迎バスに乗り込み、社殿へと向かいます。
参道は震災で地盤の緩んだところに、9月の豪雨で崩壊してしまい、それからボランティアの方々の力で車が通れるくらいにまで補修が進んだそうです。
ガタガタする参道を車で登り、社務所で御祈祷の申し込みをしました。
それから待合室に案内していただき、神主さんにご挨拶をしました。
まもなく御祈祷の準備のために移動し、親族総出のお祈りをしました。
巫女さんの舞いを拝見し、金の鈴を「ジャラジャラジャラ」と鳴らした音は、まるで小判が天からたくさん降ってくるような音でした。
金華山は3年連続でお参りすると、一生お金に困らないで暮らせるという言い伝えがあります。
御祈祷で一緒になり、帰りの船で居合わせた男性は、目黒区在住でインドネシアのジャカルタとバリでレストランを経営されているという方で、金華山にお参りしてからお店が繁盛するようになったということで、以来毎年お参りに来ていると仰っていました。
金華山は牡鹿半島の先端部にあり、鮎川港までの道のりは大変険しく、女川港からの船便は1日に1往復しか運行されず、車で行き来ができるようになった現代でも、その道のりは遠くなっています。
その分、金華山のありがたみは膨らみ、ご利益もあることでしょう。
就職を機に参拝しましたが、これから3年連続でお参りできるように、日々の生活をがんばろうと思いました。
金華山の滞在は1時間半あまりで終わってしまい、帰りの船に乗り込みます。
帰りは早く感じるのはなぜなのでしょう。
40分の旅路は行きよりも短く感じました。
午後2時過ぎに女川町へ到着し、ここから石巻市へと車を走らせます。
午後3時に回転寿司で食事をして、ショッピングセンターで買い物を済ませてから松島町へと戻りました。
夜は従兄弟たち4人で海の近くにあるバーへ行きました。
お手頃価格にも関わらず、食事とお酒はとてもおいしく、店内はアンティークの家具を用いたエレガントな雰囲気で、私のお気に入りのお店です。
お店を出ると満天の星空に爽やかな風が吹き、松島はとても良いな、って思いました。
このような静寂が都会にはありません。
人工的な公園でのんびりとすることができるでしょうか。
都会の生活になかなか馴染めないでいる私がいました。
この日は家に戻ってから二次会を開き、のんびりと語り合いました。


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


8/15()は、お昼過ぎに東京へ車で戻る従兄弟家族を見送り、午後は涌谷町へお墓参りに行きました。
普段は空いているお寺も、今日は多くの車が止まっていて、お盆休みを実感しました。
涌谷町の家は震災で取り壊しになってしまい、不便な場所にあったので家を建て直すことはせずに、家主は大崎市古川に移りました。
今は涌谷町にお墓だけが残っています。
お墓参りのあと、県道沿いにある「おやつショップ」へ寄って、ソフトクリームを食べて、松島町へと戻りました。
夜は松島町のお祭りへ出かけました。
あいにくの雨模様で、降ったり止んだりを繰り返していましたが、大人数で出かけ、盆踊りと灯篭流し、花火を眺めながら生ビールとから揚げ、たこ焼きを食べました。
漏電で提灯の電気が落ちました。
その時に、松島町で学校の先生になった大学の同級生が、声を掛けてくれました。
まさか松島町のお祭り会場で知っている人に会うなんて思っていなかったので、とても驚きました。
そして声をかけてくれて本当に嬉しかったです。
仕事中のようでゆっくり話すことはできませんでしたが、お互いにがんばろうということで分かれました。
生ビールを飲んでほろ酔いになりながら、瑞巌寺周辺を散策しました。
お祭りは晴れるに越したことありませんが、雨の夜も風流だな、と思いました。
たくさん歩いたので、家に帰ってもう1杯飲んだらすぐに寝てしまいました。


【福島駅(2014/08/16)】


【福島駅(2014/08/16)】


【福島駅(2014/08/16)】


8/16()は、1週間の滞在を終えて、東京に戻る日です。
松島駅を午前1109分に発車する仙台行きの電車に乗りました。
お盆休みの土曜日、午前中の上り電車ということもあり、車内は貸し切りに近い状況でした。
仙台では15分ほどの乗り換え時間を挟んで、仙台駅1149分発の「臨時快速・仙台シティラビット号」に乗りました。
2両編成の車内は、大きな荷物を抱えた乗客がほとんどで、名取、岩沼、大河原、白石に停車しましたが、そこでの乗降客はほとんどなく、福島駅まで向かいました。
仙台駅から1時間あまりの1258分に福島駅に到着しました。
東口に降りて菓匠三全で新商品のロール巻を購入し、アルバイト先へ向かいました。
社長とは6月にお会いしてからまだ2カ月しか経っていないにも関わらず、温かく出迎えて下さいました。
先日は福島産の甘い桃を送ってくさり、その御礼も兼ねて、今回は福島市に立ち寄りました。
都会で働くことに嫌気が差していた私にとって、社長との会話から気づかされることはたくさんありました。
その中でも、これから先10年の話は、将来像を描くのに有意義でした。
私は、東北で仕事をしたいと強く思っていますが、大学で震災に遭遇し、普通では体験できないことを福島県で経験することができました。
そして大学を卒業し、東京で働き始めましたが、東京では今アベノミクスの好景気とオリンピックに向けた明るい空気の中で、前向きな世界が広がっています。
上がり調子の世界で社会人として掛け出しの時期を過ごすのは、後に振り返った時に大事なことなのかな、と気づきました。
オリンピックが終わった時に振り返り、景気が上向き始めた頃と、大きなイベントを終えた後とでは何が変わり、何が変わっていないのか、そこをよく見ておく必要があるのかもしれません。
震災後、東京への一極集中が一段と進み、日本の中心としての機能が強化されているように思います。
地方ではいつのまにかにチェーン店が増え、東京ではアルバイトを中心に外国人労働者が当たり前になりました。
そして都心部ではあちこちで工事が行われており、一方では古い建物をリニューアルして使い続けるという、ヨーロッパ的な生活スタイルも定着してきました。
高層階のオフィスで東京タワーを眺めながら仕事をして、山手線の内側に住むという夢をやっと実現したので、これからは10年後に東北で役に立つスキルを身につけることを目標に、がんばっていこうと思います。
就職してから東北に来たのは、今回で4回です。
東北に来るたびに、これからの将来像が具体的に決まっていきます。
時々こちらにお邪魔させていただきながら、東京でしか出来ないことを経験して、20年後の将来像を具体的に描いていきたいと思います。
アルバイト先の社長に相談をして、少し光が見えてきたかな、と思ったところでお店を後にしました。
福島駅西口のイトーヨーカドーに入るポッポではお決まりのメガポテトを注文しました。
レジのおばちゃんは私のことを覚えていてくれて嬉しかったです。
新幹線改札は混雑しており、その脇にある「みどりの窓口」で湘南新宿ライン「宇都宮~池袋」の普通グリーン券を購入しました。
福島駅午後428分発の黒磯行き電車は、発車の30分前から座席の占有が始まっており、腹立たしく思いながらも適当な席を見つけて腰掛けました。
大きな荷物を抱えた乗客をたくさん乗せて、福島駅を後にしました。
車窓には、南福島、金谷川、松川と見なれた光景が広がります。
金谷川では知っているようで知らない顔がたくさん並んでいて、こうして「今」は「過去」へと流れてしまうのだな、と実感しました。
電車の中で1週間の夏休みの思い出をまとめながらふと車窓の外に目を向けると、夕日に照らされたススキが揺れていました。
那須高原を越えて黒磯駅で乗り換えると、いよいよ首都圏です。
また近いうちに東北へ帰ります。
その時はまた、お世話になります。

(おわり)

2014年6月8日日曜日

国立競技場ファイナルイベント

【国立競技場ファイナルイベント(2014/05/31)】


【東京オリンピック開催決定】


【国立競技場最後の日】


【半世紀の歴史を語るフィールド】


【東京オリンピック1964以来のブルーインパルス】


先週末の日曜日、5月31日は国立競技場へ行ってきました。
最初で最後の国立だったと思います。
今回はたまたま世田谷セレブの叔母が一緒に行こうと誘ってくれました。
その日は福島時代の後輩が部屋に泊まりに来ており、彼も一緒に連れていくことにしました。
最初は半信半疑で行きましたが、スタジアムにだんだんと人が集まり始め、名選手や有名人も出演して、とても良いイベントでした。
2020年の東京オリンピックが楽しみで仕方ありません。

さて、就職して2カ月が経ち、ぶっちゃけ結構疲れてきました。
まだ慣れ切っていないからでしょう、毎日しんどいですね。
まずは3カ月がんばって、1年がんばって、3年はやり切りましょう。
そのくらいの根性はあるつもりです。

なにが一番力を削いでいるかって、やはり東京という場所だと思います。
私に東京は合いません。
今のオフィスは、東京タワー、スカイツリー、六本木ヒルズ、お台場と都内の建物が一望でき、下は東海道新幹線が行き来している超エリート雰囲気ぷんぷんな感じですが、山はないし、人は多いし、電車はひんぱんに来て目が回りそうです。
もっとのんびりとしたところで生きたいです。
結局公認会計士の資格も取れていないし、人間として生きるってどういうことなんだろうって考えてしまいます。
あと最近、お金に血眼になっている自分がいます。
投資とか経営の本が積まれて、あれれって感じです。
たくさんの悩める会社の力になりたい、会社を良くして雇用を増やすことで世界から貧困をなくしたい、と思っていましたが、現実には果てしなく長い道が伸びているようで、先ばかりを見ては疲れが溜まってきているようです。
上海にも行きたいと思っても、前に付き合いのあった留学生はさっさと先に帰ってしまうし、自分のプライベートを考えれば簡単に向こうに行ってがんばろうという気にもなれず、今はどうすればいいのか毎日悩む日々です。
新入社員なんだし、もっと気楽に仕事できないかな~って思いますが、無理なんですかね。
会社で書くメールや日報は、先輩社員の方が厳しくご指導してくださるおかげで、プライベートでもメールやブログを書くのが嫌になってしまいました。
今夜は珍しく書いてみました。

明日も朝早いし、今日はもう寝ないといけませんね。
せめてもう少し遅く出勤できないかなって思いますが、そういう甘えはやがて会社行きたくないっていう話になって、そこらへんの普通のサラリーマンと同じになってしまうのかなっていうのが怖いです。
明日やることを考えながらシャワーを浴びて、今夜は早く寝ようと思います。

2014年4月30日水曜日

就職して

【2014年4月26日の夕焼け】

東京に引っ越してから、2カ月が経った。
4月は、3週間を他所で過ごしたからか、まだ東京に住んでいるという実感を持てないでいる。
すでに都内の通勤ラッシュを4回体験してみたが、朝は時間が早いからかそれほど混雑してなく、ストレスなく通勤できている。
それでも建物ばかりの世界にいると毎日が苦しくて、埼玉へ行って土の匂いをかぐだけで、少し安心する。

大型連休は宮城・福島へ行こうか迷った。
桜交通のホームページを見ては申し込み直前までクリックして、結局キャンセル。
私は今、山手線の内側に修行に来ている。
家賃の8万円に、水道光熱費と更新料の積み立てを加えて30日で割ると、1日当たり約3000円の滞在費が発生している。
それを考えたら、遠くへ出かけて外泊するのが惜しく思えてきた。
徒歩圏内には、椿山荘をはじめ小石川後楽園や新宿御苑、皇居、赤坂御用地、防衛省などがある。
地下鉄に10分乗れば、東京を制覇できる。

大学を卒業して1カ月。
まだ福島へ帰るには、早いと思った。
東京のことをまだ何も知らないでいる。
いくら東北が好きだと言っても、今住んでいるのは東京で、自分の住んでいる場所を好きになれないでいては、他のことも本当には愛せないのだろうと思う。
東北へあいさつへ向かうのは、お金が回るようになって、仕事について語れるようになってからで良いだろうと考えた。
今、無理をして行く必要はないという結論に至ったのである。

就職して1カ月が経ち、会社の洗脳プログラムを十分に受けてきた。
今の会社をファーストキャリアの場所に選んで、間違いはなかったと確信した。
この連休は、東京で将来設計をじっくりと考えることとしよう。

目の前の世界にのみ込まれずに、未来をじっと見つめていられる、そんな生活リズムを大型連休の間に定着させたい。

2014年3月9日日曜日

今、再びの春

2月末に東京に引っ越して、3月は早速1カ月の派遣スタッフを始めた。

今回はコンビニスタッフ専門の派遣。
派遣会社にご縁があるのは今回で3回目。
初回は大学の入学が決まった年の3月、2回目は震災直後の4月、そして今回の大学卒業の3月。
雑用派遣にサービススタッフ派遣、特化型の派遣と体験してみて、毎日違う場所に派遣されることのストレスを知った。
慣れもあるのだろうけれども、1日かけてせっかく慣れてきたところで翌日はまた一から始めなきゃいけないというのは疲れる。

ホームがあって、そこからいろいろなところへ行くのは楽しいが、ホームが不安定だと気を抜けない。
私はいろいろな人と知り合うのは好きだと思っていたけれども、狭く深く付き合う方が自然体なのかもしれない。
いや、私だけでなく多くの人はそうなのかもしれない。
自分の把握できる範囲での生活が安心で、自分と同じ色をもった限られた人たちと群れていく。
そしてその群れから離れてしまうと途端に弱くなってしまう。
結局中学生のころのくだらない「連れション」からあまり変わっていないのかもしれない。

他人は他人で、自分は自分なのに。
1年前くらいから思っているんだけれども、私は大志を抱いている。
でも無理して自分から動かず、日々の積み重ね(1.01の法則)を意識して、機会が現れた時に確実にモノにできるようにしようと。
私は目標を立ててそこへ向けた計画的な努力で達成させるには向いていない。
それよりも日頃から抽象的に漠然とイメージだけを持って、他人の見ていない陰でコソコソと自由に積み重ねて、ふと日が差した瞬間に掴み取ってここまで来た。
自分1人の時間がないと生きていけないし、寝ている時が幸せ。
いわゆる内向的なのだろう。
前からこうだったのか、誰かから影響を受けたのかは分からない。
でも女の子と付き合って、成長した。
たぶん。

派遣生活の春、出会いの春、別れの春。
成長の春。

2014年3月6日木曜日

遠い遠いところ

【東北本線の車窓】(2012年2月26日)

こんばんは。
1カ月に1回ペースでの更新が定着してしまったJunJunです。

2月23日(日)1年半お世話になったアルバイトの最後の勤務がありました。
予定では15日(日)でしたが、大雪で慌ただしく1週間延期になってしまいました。
23日は給料日前の日曜日ということもありお客さんは少なく、一緒にシフトに入っている学生と社長とおしゃべりしながら楽しいひと時を過ごしました。
そのあとは寄宿舎の友人と晩酌し、ソチ五輪の閉会式を見ながら荷造りを始めました。

24日(月)は、午前中に引っ越し業者が迎えに来て、荷物を搬出。
空になった部屋を見ると寂しいですね。
初めての一人暮らし、夢にまで見た大学生活、憧れの田舎暮らし、1時間に1本しか来ない電車。
毎日毎日本当に楽しかった。
もっと福島に居たかったけれど、4年でちょうど良かったのかもしれない。
お昼をココストアで済ませ、在来線と新幹線を乗り継いで、あっという間に着いてしまった東京。
こっちに雪はもうなく、せかせかと時間が回っていました。
日中はとても暖かく、もう春なんだなぁと思いました。
つらいです。
やっとうまく回り始めていたと思っていた歯車が早くもきしみ始め、自分の努力不足、能力不足に歯を食いしばるだけの日々が続いています。
どれほど追いかけても追いかけても追いつかなくて、もがき苦しんでいます。
でもこの前、私の新居の最初のお客さんとなった親しい友人に、「自分のことだけしか考えられないって見苦しいよね」と言われて、少し気が楽になりました。
何かの後ろを追いかけてちゃいけないんですね。
自分で自分のやり方を生み出さないといけない。
これから社会人。
また赤ちゃんからやり直しですね。

2014年2月11日火曜日

東北本線に乗って

こんにちは。
先週末は全国的に大雪となったようで、普段は冷たい北風が吹いて乾燥する関東平野は、大変な積雪に経済活動が影響を受けたようですね。
私が今いる福島市も1日で45cm程度積もったらしく、大学の寄宿舎周辺とアルバイト先であるファミリーマートの駐車場を簡単に雪かきしました。
それにしても雪の多い地方出身の学生は雪かきに慣れており、私の雪かきした場所と彼らが雪かきした場所とでは歩き易さに天と地ほどの差が生じ、自分のやったところを振り返って見ては「下手くそだなぁ」と呟くことしかできませんでした。
それなのに翌日は身体中が痛くて、うわぁぁぁって。

さて、今日は急きょ東京出張を組み込みました。
今月22日に福島から東京へ引っ越す予定でおりますが、その最終調整で上京します。
当初は郵送で手続きを進めていく予定でしたが、雪も積もってどこかへ出かけたい衝動に駆られたので、電車に乗ってしまいました。
私は正しい決断をしました。
おそらく半年ぶりに在来線を使って移動しておりますが、二本松、郡山、矢吹と思い出がよみがえってきます。
4年間行き来して、夏休みの思い出がつまったこの場所からもうすぐ離れるのかと思うと悲しくもあります。
昨年の就職活動の頃から新幹線と高速バスで移動することを覚え、在来線はしばらくご無沙汰でした。
でもやっぱり原点というか、一つ一つの町をていねいに立ち寄って、地元の人がいつも使う日常空間に触れて、鉄道開通から高速道路が整備されて新幹線ができるまでの100年を、戦争に行く人が通って、闇市に買い出しに行く人が通って、集団就職へ出る人が通って、故郷に帰る人が通って、社員旅行に行く人が通って、修学旅行の生徒たちが通って、この同じレールの上を今自分も通っているのかと思うと、感慨深いものがあります。
春には桜が満開になり、夏には田園風景が広がり、秋には紅葉で赤く染まる。そして冬、一面の銀世界。
四季折々の風景が車窓に映るも、そこを走る車や家は人工的に無機質で、永久に可能ではないはずの不思議な自然との調和を感じます。

ところで昨日の夕飯に福島市内で、日本語の通じないインド料理店へ行きました。
オーナーは多少の日本語が話せるのですが、ウエイターは来日してまだ半年ほどだというインド人でほとんど日本語が話せません。
店内はインドの音楽が厨房から大音量で聞こえてきて、テーブルとイスのデザインはインドそのもので、夏は扇風機のうるさく回る羽の音が途上国を感じさせます。
ちなみに冬は暖房が弱めで、店内は若干寒いです。
でもその辺のアバウト感が日本離れしていて、私をこの店へと引きつけます。
そして肝心の味付けは日本人の口にまったく合わせようとせず、香辛料から油の具合まで、インドで食べたカレーそのもので、はっきり言ってマズイです。
私はインド人やネパール人が関わっていると思われるカレー屋さんによく行きますが、日本でここまで本格的なインド料理を食べたのは福島が初めてでした。
これからますますこういうお店が増えるのかなぁって思います。

翌年度入社の就職活動が始まり、最近は福島の学生も東京で動き始めました。
先日、海外留学から帰国した友人と食事に行きました。
喜多方出身のその学生は1年生の頃からパワフルでしたが、海外から戻ってますます手の付けられないくらいにまでなっていました。
もう少し前には同じく海外から戻った仙台出身の学生とも食事へ行きました。
その学生は帰国してとても論理的になり、おそろしいまでに本質をつかもうと努力するような思考に変わっていました。
2人とも海外で磨かれて、研ぎ澄まされて帰ってきて、私はただただすげぇーと思っています。
振り返れば私はここ1年、珍しく福島から出ていませんでした。
この間にだいぶ腰が重くなってしまったようで、とても後ろ向きな思考になっていたようです。
もし私が福島で生まれ育っていたら、今ほど世界に目を向けていなかったのではないかな、と思っています。
かと言って福島に来なければ、日本を知ることは出来なかったとも思っています。
全国で課題となっている少子高齢化と過疎化、経済成長メカニズムの転換、インフラの維持、労働力としての移民の問題。
日本全国にはびこる様々な問題を、山手線の内側の発想だけで解決しようとするこの国の姿勢と、自らの体力ではどうすることもできない構造。
このような課題を認識しても、1人の人間が持つ影響力は知れています。
原発事故は、1人の人間ではどうしようもできなくても、それでも何とかしようと地道に動く人たちとの出会いを私に与えてくれました。
そういう意味で、市民レベルの活動から成果を挙げている人のほとんどは、外の世界を知っている、という共通点を知りました。

ここまで時間がかかりましたが、これから長い道のり、人のため世のために生きていきたいと思います。
つまり今日は何が言いたかったかと申しますと、後ろばかりを向いていないで、これから積極的に攻めていこうということです。

ありがとう。

2014年2月7日金曜日

決まる

ここのところ、忙しくもないのに忙しさにかまけて更新が滞っております。
今年はお正月から下痢と嘔吐に襲われたということもあり、さっそく1年の予定が崩れているような気分です。
そんな中で、よせばいいのに思いつきで東京へ行き、思いつきのままに部屋を契約してしまい、春から神楽坂に住むことになりました。
当初は上野周辺で探していたのですが、予算オーバーになり湯島、本郷、春日と少しずつ西へ移動していき、立地的にも物件の条件的にも金銭的にも神楽坂で落ち着きました。
JR沿線でないのは心残りですが、地下鉄東西線で大手町(東京)駅まで8分、地下鉄有楽町線で池袋駅まで6分、新宿、秋葉原へは飯田橋乗り換えで、上野、渋谷も日本橋乗り換えで、スマートな移動ができそうなので、大変満足しています。
もちろん職場へも激しい通勤ラッシュにはならない区間での移動です。
埼玉の家から1日往復4時間かけて通うのを、自腹の家賃分で割ったら時給695円の計算になりました。
695円のために大変な思いをするくらいなら、部屋を借りてしまったほうが賢い選択ですよね。
しかし新しく部屋を借りると言うのは、とてもお金がかかりますね。
思った以上に出費が大きくて、春休みの遊ぶお金がなくなってしまいました。
またアフリカへ行きたいなぁ。

そして東京から夕方の新幹線で帰ってきたその日の晩、女の子と2人でいわきへ出かけました。
びっくりドンキーでハンバーグを食べて、福島西ICから高速道路でいわきへ。
9時過ぎにいわきに到着し、小名浜で海を眺めながら夜風にあたりました。
この日はそれほど寒くはなく、とてもいい夜でした。
帰りも安全運転で、福島松川スマートICで高速道路を下りて、日付けが変わってから部屋まで届けました。
とても素敵な人で、今は目標に向かって毎日ストイックなまでに努力しています。
私も負けないように、と思います。
その素敵な人に、1日1つ、「すごい」と思ってもらえるようにがんばります。

2014年1月11日土曜日

2014年あけおめ

(関谷・八幡神社にて '14.1.7)


(八幡神社わきの児童遊び場 '14.1.7)


(金谷川駅南方から安達太良山を望む '14.1.7)


(東北本線を行く貨物列車 '14.1.7)


(医大前から立子山を望む '14.1.7)

新年、あけましておめでとうございます。
本年も皆さまにとって素晴らしい年であるよう願っております。

さて、私は正月早々、1月3日の晩から嘔吐と下痢におそわれ、3日間は死んだような日々を送り、調子が整うまでに1週間を要しました。
原因は、3日の午後に宮城県の竹駒神社へお参りした際に屋台で食べたものだと思われますが、私は今年は年男に厄年でもあり、何かと当たる1年になりそうだと正月から見せつけられたと思いであります。
宝くじでも当たればよいものです。

これからどうしようかといろいろ思うことはありますが、とりあえずは卒業に向けて、4月からの新生活をめざして、準備をすすめていこうと思う今日この頃であります。

今年もよろしくお願い申し上げます。