2012年12月31日月曜日

【国内旅行】華麗なる列車の旅「盛岡、仙台、福島と」

盛岡に着くと、改札を出る客、新幹線に乗る客、東北本線に乗る客へと分かれていく。
私は盛岡1816分発の東北本線一ノ関行きに乗る。
4両編成だが、発車5分前にしてすでに乗り切らないほどの混雑。
盛岡のラッシュアワーを体験した。
盛岡を出て、仙北町、岩手飯岡、矢幅、古館と1駅ごとに乗客が降りていき、盛岡から所要時間23分の紫波中央で大半の乗客が降りた。
日詰駅に停車していた時、列車が踏切支障による緊急停車の指示を受けて4分遅れで運行。北上で乗客が若干増えるが、水沢まで来ると再び空いた車内に戻った。
世界遺産となった平泉を通って、定刻より4分遅れたままの1954分に一ノ関駅に到着した。
予定では一ノ関駅に1950分到着で、1954分発の仙台行きに乗り換えるはずであったが、4分遅れて到着してしまったので、接続列車も遅れることになった。

一ノ関を3分ほど遅れて仙台行きの列車は発車した。
4両編成の列車は終始ガラガラだった。
外は暗くて見えないが、おそらく宮城平野の田園地帯を走っているのだろ。
列車はかなり飛ばしていた。
田尻、小牛田、松島と身内が住んでいる駅名が続くと、もう自分の庭に入ったのだと安心した。
仙台の1つ手前である東仙台駅で貨物列車との関係で3分停車。
一ノ関を発車した時点で4分遅れていたものを少しずつ取り戻していたようだが、結局終点の仙台駅には5分遅れで到着した。

仙台では20分ほどの余裕があるので、コンコースに上がってNEWDAYSで軽食を購入。
仙台2158分発の福島まで行く松川行き最終電車に乗った。
22時前の電車ということもあり、さすがの仙台都市圏でも6両編成で立ち客がちらほらいる程度だった。
ここまで来れば、何が起きても今日中に部屋で寝られる確約ができる。
長町、太子堂、南仙台と市街地がつづき、名取、岩沼、大河原と乗客がだんだんと減っていく。
それでも座席は8割程度が埋まっており、そのまま白石を出て福島県に入った。
白石を出た時に「3分遅れています」との車内アナウンスが流れる。
どうして遅れたのかは知らされなかったが、福島の停車時間でダイヤが戻るとの話だったので、そのまま乗っていた。
列車は、越河峠を越えて福島盆地に下りたひとつめの藤田で乗客が降り始め、伊達で大半の乗客が下車した。

2330分、福島を定刻で発車した。
10分で金谷川駅に着き、今回の東北一周旅行は無事に幕を閉じた。
ではまた、いつの日か。

2012年12月30日日曜日

【国内旅行】華麗なる列車の旅「三陸海岸を慰霊訪問」

(青森駅にて)

(一晩で駅前は真っ白に)

旅行開始3日目、当初の計画では2日目である1225日は、遅めの8時に起床。
仕度をして8時半にチェックアウト。
青森駅846分に発車する青い森鉄道線の快速八戸行きに乗車した。
2両編成のワンマンカーでラッシュアワーを終えた車内は空いていた。
列車は未明から降り始めた雪をかき分けながら走る。
東北本線や奥羽本線、津軽海峡線など日本の動脈が一気に集まるため地点なため、線路の数が非常に多く、いくつものポイントをガタゴトと通過しながら車窓には青森の市街地が映る。
6分ほどで1つ目の駅である東青森に到着。
右手に県立保健大学の新しい校舎を眺めながら、2分で小柳。
つづく矢田前は青森東高校の目の前にある駅で、こちらも所要時間3分と短い。
野内、浅虫温泉と来ると青森市内も遠ざかり、左手に冬の津軽湾が見えてきた。
未開発の北の大地を眺めながら『向こうの下北半島には原発が林立しているのかぁ』などと思いながら、野辺地、三沢とそれなりに規模のある町を通り、1012分に八戸駅に到着した。

八戸では4分の乗り換え時間で、乗って来た青い森線の向かい側のホームに八戸線は停車していた。
余裕の乗り換えで、久慈行きは1016分に発車。
田園地帯の長苗代、高架に上がって本八戸、市街地を進み小中野、陸奥湊、白銀、鮫と停車。
市街地の間に半分くらいの乗客は降りてしまった。
八戸は不思議な町で、新幹線が開通すると大抵の都市では中心部が新しい駅の方へと移るが、八戸は依然として本八戸駅を中心とする南側が強いようである。
秋田県の能代も新幹線停車駅ではないが、奥羽本線の東能代駅に対して、市の中心部は五能線の能代駅にあった。
これは自動車の普及率が高いからなのか、私の今後の課題である。

そんな八戸市街を離れ、鮫からはいよいよ太平洋を眺めながらの走行となる。
しばらくは乗客が少ない状態になるが、種市が近づくにつれて地元のおばあちゃんたちが増えてくる。
増えてきたおばあちゃんたちは種市で降りて、代わりのおばあちゃんたちが乗って来た。
おそらく種市駅周辺には何かがあるのだろう。
宿戸・陸中八木間では列車の目の前にまで太平洋が迫って来て、旅行客を楽しませてくれる。
秋には車輪の空転で列車の遅延につながる急こう配の峠を越えると、終点の久慈には1204分に到着した。
(久慈駅に停車中の八戸線)

久慈では26分の待ち時間があったので、コンビニで食料を調達しようと思って改札を出る。
しかし駅周辺には個人経営のお店しか見当たらなかったので、ロータリーを挟んだ向かい側にある三陸地方のアンテナショップに入る。
ここで南部せんべいのおみやげを購入し、昼食とする150円のおでんと120円の中華まんをゲットした。
(北リアス線の車窓から)

三陸鉄道北リアス線の改札口は、JRの隣の駅舎になる。
中に入るとJRよりも人が多く、また立ち食いそば屋もあった。
こちらで食べても良かったな、と思いつつアンテナショップで買ったおでんを持って三鉄北リアス線に乗車。
1両編成の車内は、ボックス席が12人ずつ埋まる程度の混み具合であった。
1230分に久慈を出た田野畑行き列車は、田園地帯を走り、まもなく太平洋を眺めながらトンネルと鉄橋の連続区間に入る。
だんだんと乗客が減り、久慈から50分。1320分に終点の田野畑に到着した。
(田野畑駅にて)

(田野畑駅前にある記念碑)

(田野畑~小本はいまだ代替輸送がつづく '12.12.25)

田野畑から小本までの区間は岩手県北バスが代替輸送を担っており、別に運賃を払って乗車する。
しかしこのバスに乗車したのは私と友人の2人だけ。
私たちがいなければ空気を運ぶというような状態である。
「津波到達地点」の碑がある田野畑駅前を出発すると、バスは一気に山を登る。
途中に「田野畑高台移転予定地」と看板が立てられた造成中の敷地を通過する。
少し進むと国道45号に入り、宮古方面へと進路をとる。
途中からバスは無料開放中の三陸自動車道に入り、長いトンネルで山越え。
30分ほどで鉄道運転区間の開始駅である小本駅前に到着した。
ここで宮古までの乗車券を購入するのだが、次の発車時刻を調べるとまだ1時間以上もあったので、付近を散策することにした。

(小本駅にて)

(防波堤の強化工事)

(津波のつめ跡)

(小本川の水門)

(静かな小本海岸)

小本駅前から海の方へと向かって歩いた。
歩き始めて5分でローソンがあり、15分で壊れかけの小本温泉、20分で海岸に到着した。
震災から2年近くが経つ今でも至る所で津波の爪跡が残っており、先の津波被害の大きさを実感した。
護岸工事の様子を5分ほど見物し、すぐに引き返して小本駅に戻るとちょうど良い時間であった。

小本港の現地指導を終えて三鉄北リアス線に乗ると、1505分発宮古行きの列車はまもなく発車した。
雪が降り始め、いくつものトンネルを越えている間に降雪量はどんどん増えてくる。
車窓にはホワイトクリスマスの名にふさわしい景色が広がる。
大して乗客が増えることもなく、1538分に宮古駅に到着した。
これで三陸鉄道の復旧区間は完乗である。
気仙沼線から始まる大船渡線、南リアス線、山田線、北リアス線、八戸線の三陸区間が鉄路で復活し、また乗り通せる日を夢見て私は盛岡行きの山田線へと乗り換えた。
宮古1552分に発車した山田線の盛岡行き列車は1両編成だったが、昨日の北上線のような混雑ではなく、この区間における路線バスの圧倒的優位を見せつけられた。
茂市では廃線も秒読み段階で代行バスを運転している岩泉線が分かれる。
山の中を右に左に揺れているうちに日は暮れてしまい、途中駅での乗降客もいないので、車内には眠たい空気が充満する。
うとうと居眠りをしたり、好きなことをしてくつろいでいるうちに、盛岡近郊までやって来て、バタバタし始める。
途中、雪の影響で空転したのか3分ほど遅れて盛岡駅に到着した。

2012年12月29日土曜日

【国内旅行】華麗なる列車の旅「津軽路をゆく」

(大館駅に停車中の秋田行き列車)

つづく奥羽本線とは横手ぶりの再会。
いったん改札を出て待合室で小休憩。
花輪線の運転士と車掌も待合室にやって来て、飲み物を買って出ていった。
彼らはこれからまた盛岡へ戻るようだった。
私は大館20分ほどの滞在で、1555分の普通弘前行きに乗る。1
0分ほど走ると青森県に入り、終点の弘前より2つ手前の大鰐温泉駅で途中下車。
ここで駅前にあると聞いていた新しい浴場施設「ワニcome」という温泉を目指したが、駅周辺を歩いても見つからない。
銀行の前に止まっていた軽自動車に乗った奥さんに聞くと、「そこの交差点を過ぎて左だよ」と教えてもらった。
どうやら駅を出て右に行けばすぐのところを、左に来てしまったらしい。
それにしても奥さんの訛り方が“THE津軽”という感じで、遠くまで来たな、と感じた。


(JR大鰐温泉駅)

教えてもらった通り、交差点を越えるとすぐにワニcomeはあった。
施設は大型できれいだった。
おみやげ店が手前の建物にあり、そこを抜けて奥に共同浴場はある。
1500円でタオルは別だが、とても満足な温泉だった。
大浴場は広くシャワーの数も十分。
露天風呂には雪も積もりきれいだった。
大浴場に浸かりながらおじいちゃん達の会話を盗み聞きしたが、何を話しているのか全く聞き取れなかった。
本場の津軽弁は訛っているとかというレベルの話ではなく、異国の言語ではないのだろうかと思うほどであった。
(共同浴場ワニcome)

身体も温まりおみやげ屋で友達にりんごの菓子とジュースを買う。
駅までは徒歩3分と近くギリギリまでワニcomeに滞在。
大鰐温泉駅1752分の青森行き電車に乗って、すっかり暗くなった夜道を弘前、川部、津軽新城と進んだ。
電車は3両編成で私は真ん中の車両に乗ったが、モーターが付いていない車両だったのかとてもよく揺れた。
さらに節電と称して蛍光灯が何本か外されており、車内は若干暗かった。
JR東日本はこの節電ブームに乗って、直接的には電力を使わないであろう気動車まで蛍光灯が外されていた。
一方で翌日乗ることになった東北新幹線の並行在来線である青い森鉄道の車両は、蛍光灯が外されていなかった。
不便なほど暗いわけではないが、外さなくても間に合うところまで電気を消すのであれば、ぜひ運賃も下げるか何らかの形で利用者にも還元してほしいな、と思った。

大鰐温泉を定刻で発車した列車は、途中駅で遅れている上り列車との交換待ちで、終点の青森には10分ほど遅れて到着した。
比較的空いていた車内であったが、弘前で席が埋まるくらいの乗客があり、1駅過ぎることに客が減って行く。
私の隣に座っていたお姉さんは、そのまた隣にいたおばあちゃんに何か声を掛けられていた。
ことの発端はお姉さんが手持ちのペットボトルの水を飲んだところから始まる。
水を飲み終わってボトルをバッグにしまおうとすると突然おばあちゃんが話しかけて「私にも飲まして」というようなことを津軽弁で話したようだ。
それに驚いたお姉さんは
「いや、口をつけているんで無理です。」
と断ったが、ぶつぶつおばあちゃんがお姉さんに話し掛けて、うっとおしそうにしていた。
おそらくたまたまであろうがお姉さんは次の駅で降りたが、今度はおばあちゃんが私の隣に来てしまった。
私はおばあちゃんの言っていることがまったく聞き取れない。
「話しかけられませんように」
と祈っていたが、窓越しについに目が合ってしまった。
会釈から始まり、何か言われているが、本当に分からない。
ただ愛想笑いをして、時々相槌を入れる。
特に自分の話に向けられることはなかったので助かったが、おばあちゃんも寂しいのかな、って思った。
まもなくおばあちゃんは降りたのでほっと一息。
津軽弁が聞き取れないのは、きっと中国人が
「国内旅行で別の地方の人の言葉が分からない」
と言っていたものと同じなのだろうな、と思った。
日本もまだまだ広いな、と思った。
それでいてワニcomeの休憩所で流れていたテレビは東京発のニュース。
関東地方の天気予報など映っていたが、青森ではまったく関係ないので何か違和感だった。
(青森駅に停車中の特急と普通列車)

青森に定刻では1855分に到着予定だったが、諸々でおおよそ19時に着いた。
ホームに降りると隣から函館1707分発の特急スーパー白鳥42号新青森行きが雪を巻き上げて発車した。
青森駅の改札口を出ると、さぁやってきました青森。
駅の近くにあるホテルニュームラコシに宿泊。
112000円のホテルだが、フロントの対応や室内の作りなどは値段相応であった。
2000円なので満足だが、3000円は取れないような内装である。
映画で見るような昭和末期、バブル前の時代を色濃く残したホテルだった。
東横インにはない良さがあったと言ってもいいだろう。
(今年は雪の少ない青森駅)

部屋に荷物を置き、夕食を食べに街へ出た。
フロントの人に教えてもらった「おさない」というレストランへ向かったが、なんと月曜定休だった。
「振替休日も関係ないんかい!」
と突っ込んでも、やってないものは仕方ない。
他に食べるところがないかとタクシーの運転手に聞いてみる。
すると「おさないがいいよぉ~」と。
月曜定休のむねを伝えると、
他はラーメン屋とかしか分からないなぁ」
と言われた。
少し歩いてみてクリーニング屋の奥さんに聞いてみる。
「この通りをまっすぐ行ったところに“おさない”というレストランがあるよ」
と。
また定休日の話をすると、
「ホテルの人に聞いてみたらいいんじゃない?」
ということで近くにあった青森の帝国ホテルのようなところでフロントのジェントルマンに尋ねる。
すると
「おさないさんは今日定休日だから…」
と言いながら地図を出してきてくれて、飲食店の多い通りを教えてもらった。
言われた通りに行ってみるが微妙だったので、駅の近くまで戻り吉野家で牛丼より少し高い焼肉丼を注文して懐の心配をすることなくがっつり頂いた。
クリスマスイブということで、食後は駅前のファミリーマートでスペシャルチキンを購入。
ホテルの部屋に戻ってから友達と2人でプチ・イブパーティーin青森を催した。

(青森駅前の吉野家で焼肉丼を注文)