(青森駅にて)
(一晩で駅前は真っ白に)
仕度をして8時半にチェックアウト。
青森駅8時46分に発車する青い森鉄道線の快速八戸行きに乗車した。
2両編成のワンマンカーでラッシュアワーを終えた車内は空いていた。
列車は未明から降り始めた雪をかき分けながら走る。
東北本線や奥羽本線、津軽海峡線など日本の動脈が一気に集まるため地点なため、線路の数が非常に多く、いくつものポイントをガタゴトと通過しながら車窓には青森の市街地が映る。
6分ほどで1つ目の駅である東青森に到着。
右手に県立保健大学の新しい校舎を眺めながら、2分で小柳。
つづく矢田前は青森東高校の目の前にある駅で、こちらも所要時間3分と短い。
野内、浅虫温泉と来ると青森市内も遠ざかり、左手に冬の津軽湾が見えてきた。
未開発の北の大地を眺めながら『向こうの下北半島には原発が林立しているのかぁ』などと思いながら、野辺地、三沢とそれなりに規模のある町を通り、10時12分に八戸駅に到着した。
八戸では4分の乗り換え時間で、乗って来た青い森線の向かい側のホームに八戸線は停車していた。
余裕の乗り換えで、久慈行きは10時16分に発車。
田園地帯の長苗代、高架に上がって本八戸、市街地を進み小中野、陸奥湊、白銀、鮫と停車。
市街地の間に半分くらいの乗客は降りてしまった。
八戸は不思議な町で、新幹線が開通すると大抵の都市では中心部が新しい駅の方へと移るが、八戸は依然として本八戸駅を中心とする南側が強いようである。
秋田県の能代も新幹線停車駅ではないが、奥羽本線の東能代駅に対して、市の中心部は五能線の能代駅にあった。
これは自動車の普及率が高いからなのか、私の今後の課題である。
そんな八戸市街を離れ、鮫からはいよいよ太平洋を眺めながらの走行となる。
しばらくは乗客が少ない状態になるが、種市が近づくにつれて地元のおばあちゃんたちが増えてくる。
増えてきたおばあちゃんたちは種市で降りて、代わりのおばあちゃんたちが乗って来た。
おそらく種市駅周辺には何かがあるのだろう。
宿戸・陸中八木間では列車の目の前にまで太平洋が迫って来て、旅行客を楽しませてくれる。
秋には車輪の空転で列車の遅延につながる急こう配の峠を越えると、終点の久慈には12時04分に到着した。
(久慈駅に停車中の八戸線)
久慈では26分の待ち時間があったので、コンビニで食料を調達しようと思って改札を出る。
しかし駅周辺には個人経営のお店しか見当たらなかったので、ロータリーを挟んだ向かい側にある三陸地方のアンテナショップに入る。
ここで南部せんべいのおみやげを購入し、昼食とする1個50円のおでんと120円の中華まんをゲットした。
(北リアス線の車窓から)
三陸鉄道北リアス線の改札口は、JRの隣の駅舎になる。
中に入るとJRよりも人が多く、また立ち食いそば屋もあった。
こちらで食べても良かったな、と思いつつアンテナショップで買ったおでんを持って三鉄北リアス線に乗車。
1両編成の車内は、ボックス席が1~2人ずつ埋まる程度の混み具合であった。
12時30分に久慈を出た田野畑行き列車は、田園地帯を走り、まもなく太平洋を眺めながらトンネルと鉄橋の連続区間に入る。
だんだんと乗客が減り、久慈から50分。13時20分に終点の田野畑に到着した。
(田野畑駅にて)
(田野畑駅前にある記念碑)
(田野畑~小本はいまだ代替輸送がつづく '12.12.25)
田野畑から小本までの区間は岩手県北バスが代替輸送を担っており、別に運賃を払って乗車する。
しかしこのバスに乗車したのは私と友人の2人だけ。
私たちがいなければ空気を運ぶというような状態である。
「津波到達地点」の碑がある田野畑駅前を出発すると、バスは一気に山を登る。
途中に「田野畑高台移転予定地」と看板が立てられた造成中の敷地を通過する。
少し進むと国道45号に入り、宮古方面へと進路をとる。
途中からバスは無料開放中の三陸自動車道に入り、長いトンネルで山越え。
30分ほどで鉄道運転区間の開始駅である小本駅前に到着した。
ここで宮古までの乗車券を購入するのだが、次の発車時刻を調べるとまだ1時間以上もあったので、付近を散策することにした。
(小本駅にて)
(防波堤の強化工事)
(津波のつめ跡)
(小本川の水門)
(静かな小本海岸)
小本駅前から海の方へと向かって歩いた。
歩き始めて5分でローソンがあり、15分で壊れかけの小本温泉、20分で海岸に到着した。
震災から2年近くが経つ今でも至る所で津波の爪跡が残っており、先の津波被害の大きさを実感した。
護岸工事の様子を5分ほど見物し、すぐに引き返して小本駅に戻るとちょうど良い時間であった。
小本港の現地指導を終えて三鉄北リアス線に乗ると、15時05分発宮古行きの列車はまもなく発車した。
雪が降り始め、いくつものトンネルを越えている間に降雪量はどんどん増えてくる。
車窓にはホワイトクリスマスの名にふさわしい景色が広がる。
大して乗客が増えることもなく、15時38分に宮古駅に到着した。
これで三陸鉄道の復旧区間は完乗である。
気仙沼線から始まる大船渡線、南リアス線、山田線、北リアス線、八戸線の三陸区間が鉄路で復活し、また乗り通せる日を夢見て私は盛岡行きの山田線へと乗り換えた。
茂市では廃線も秒読み段階で代行バスを運転している岩泉線が分かれる。
山の中を右に左に揺れているうちに日は暮れてしまい、途中駅での乗降客もいないので、車内には眠たい空気が充満する。
うとうと居眠りをしたり、好きなことをしてくつろいでいるうちに、盛岡近郊までやって来て、バタバタし始める。
途中、雪の影響で空転したのか3分ほど遅れて盛岡駅に到着した。
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