2013年10月31日木曜日

秋の夜に抱くもやもや感

(東北道から眺める岩手山)

青森から福島に戻って2週間。
この2週間はよくわからないけど、忙しかった。
10月も月末になってようやく心に余裕が出てきた。
今夜は、グランドキリンという少し高いビールを飲んでいる。
とてもおいしい。

今夜は特に書くことはないが、とりあえず今の気持ちをつづってみる。
今月23日は私の誕生日ということで、思いもよらなかった学友たちから祝福してもらった。
恋人と別れたばかりで今年の誕生日は寂しい思いをするのかなぁっと思っていただけに、本当にうれしかった。
振り返れば昨年の誕生日の時には新しい恋人と付き合い始めたばかりだった。
車で裏磐梯へ出掛けて、五色沼へ行ったんだっけ、なんて考えながら、1年という時間は短いものだな、と思った。
苦しい時の1年はあれほどまでに長いのに、楽しいひと時は刹那のうちに過ぎ去ってしまう。
時計の針はいつも同じような動きをしているように見えるけど、時間の長さというのは本当はいろいろなのかな、って前から思っていた。
果たして来年の誕生日はどんな状況になっているのかな、と今から楽しみだ。
そして死ぬ前の最後の誕生日は、どのように迎えているのだろうか。
いつが最後の誕生日かだなんて、人生終わってみないとわからない。
すべてが終わった時に振り返ってみて、あのときが最後だったのか!と知るのだろうが、その時はもう遅い。
そう、何かが起きてしまってから後悔しても仕方ないのだ。

昨日30日は、福島市内にあるとある女性の家を尋ねた。
彼女とはNPOを通じて知り合い、前回の参院選の時には選挙の手伝いで駆りだされた仲である。
彼女は福島女子高から桜の聖母短大を出て、二十歳から福島県内の中学校で英語の教鞭をとっていたパワフルなおばあちゃんで、私が知り合った時にはすでに定年退職をしていた。
教員時代には日教組の幹部をも務めたというコテコテのリベラルで、世界平和を目指して政治から変えようとしている。
県議選に2度出馬するも落選し、その後は国政選挙に分身を送ろうとして失敗して、それでも「自分は間違ったことはやっていない」という強い信念を持っている人間だ。
そんな女性のお宅へ行って、お昼ご飯をごちそうになった。
ランチのあと、11月中旬に福島市長選が予定されており、その選挙絡みで県庁へ行くというので私もついて行った。
そこで県政記者クラブの部屋に入って、初めて記者会見というのを目の前で見学した。
記者会見を行った人物は現職の市議会議員で、今度の市長選に立候補した30歳の若い政治家で、別の候補と政策協定を結んで自分は降りるという内容だった。
その候補者が降りるまでに至る経緯はまさにドラマのごとく根回しのされた話のようで、これが民主主義なのかと考えさせられた。
中国人の権力者は家や車を壊したり法律を守らずに相手を陥れようとすることに長けているが、日本人の権力者は誰も気づかないように根回しに根回しを回して相手を陥れることに長けているのだということを思った。
表に出てくるのはほんの一部分で、大事な真実は闇の中。
そして感心したことに、質問する記者の中には頭のいい人が結構いて、おそらく根回しにやられたということの確認を取るかのような質問も飛んだ。
おそらくプロの記者たちはもうわかっているのだろう。
日常茶飯事なのだろう。
しかしそのことが報道されることはおそらくないだろう。
報道会社によってオブラートに包んで流すところもあれば、まったく着色を加えて流すところもあるだろう。
いずれにしても真実はいつもひとつなのだ。

これまで政治は世界を変えられるのか、とずっと疑問を抱いていたが、今日、ひとつの中間的な結論が出たかもしれない。
政治は世界を変えることもできるし、できないかもしれない。
それは政治の世界で生きようとする本人次第なのであるということ。
自分が政治で世界を変えようと思えば変えることはできるし、その可能性に少しでも疑問符をつけてしまったら大きな圧力に屈してしまうということ。
そして最後は1人で戦わないといけないということ。
人間は弱いから周りの支えを必要としている。
自分に同調してくれる人が多ければ多いほど自分に自信は持てるし、逆に反対を唱える人や協力してくれない人が多ければ自信をなくしてしまう。
今日とても勉強になったのは、立候補者が30歳という若さの点だ。
私は経験がモノを言うという思考を持っているので、若い人では無理だ、とずっと思ってきた。
実際に30歳の立候補者と少ししゃべってみて、本当に若いし、頼りになるのか疑問符だらけだった。
でも挑戦できるのは若いからで、年を重ねれば重ねるほど丸くなっていくのかな、と思わされた日だった。

日曜日の深夜に私がよく見るNHK教育「スーパープレゼンテーション」という番組がある。
先週は、バージニア大学で心理学を教えるMeg Jayという人の「"30代は20代みたいなもの"じゃありません」というプレゼンだった。
スーパープレゼンテーションに関することは公式サイトで見ることができるので、そちらに譲るとして、今日アメリカで「20代はモラトリアム」と言われているけれども、実はそうじゃなくて、20代は大人の人生を歩む上でとても重要な時期で、この時期に何を学んだかで生涯賃金も変わるしこれから自分が作る家庭も変わるというものであった。
恋人に振られたばかりの私にはキツイ内容だった(笑)が、もっと将来を具体的にイメージしないといけないな、と思った。

先日、些細な人間関係のトラブルを起こして研究室の出入りを一時的に禁じられた学生がいる。
彼は後輩思いでとてもやさしい学生なのだが、大勢の中に入ると少し変わってしまう。
個人的にさしで飲めば分かりあえるのに、人数が増えると収拾がつかなくなってしまう。
どうしてなんだろうか。
これは彼個人に限らず、国家や宗教の対立についてもあてはまるのではないかな、って思っている。
アメリカ人とイラク人だって、フランス人とアルジェリア人だって、日本人と中国人だって、1対1で話し合えば分かりあえる。
時間がかかる場合もあるかもしれないけど、「話せば分かる」。
しかし、一方が何らかの文句をつけて話を聞かなかったり、歪んだ解釈をすれば、そこで対立は深くなってしまう。

話せば分かる。
悪く言えば、声の大きい人が有利に持っていく。
お人好しなだけじゃダメなんだ。
よく企業は「人財」なんて当て字を使っているけど、あれは間違いだ。
正しくは「人材」。
人が財産なのは当然で、それをわざわざ文字で表わさないとならないくらい社会が歪んでいることに残念でならない。
それにしても個人的には、人間が好きだ。
嬉しいことは嬉しい、むかつくことには怒って、良い知らせには喜ぶ。
男は男らしく、女は女らしく、ペットはペットらしく、人間は人間らしくふるまう。
それが最近では肉食女子だとか、草食男子と言われている。
「○○力」という表現が支持されるのは、そういう「~らしく」振る舞える人が少ないからではないだろうか、と思う。
外国人が京都を好むのは、京都に「日本らしい」建物がたくさんあるからなのと一緒だ。
しかし、現代の日本が抱える課題は京都にはなくて、いろいろなところに散在している。
そしてとくにその歪みが現れるのは、災害を受けた地方なのかと。
若い私は、いろいろなことに問題があると感じている。
どうか触覚が鈍る前に何かできるようになりたい、何とかしたい。
あれれ、数年前にケニアで知り合った2つ3つ年上の学生たちが私に語りかけていたことに似ているような…。
私も年を重ねているのだなぁ。
まぁいっか。
もっと素直に生きたいと思う秋の夜であった。

2013年10月17日木曜日

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vol.6~台風一過の帰路につく~

最終日の1017日は、8時に起床した。
昨日と同じようにホテルのレストランで朝食を済ませ、9時にチェックアウト。
さっきまで晴れていたはずなのに、突然雨が降ってきて困ったが、ホテルの人の心遣いで傘を手にした私は、青森駅前のバスのりばへ。
運行状況を確認して、準備万端。
まだ1時間ほど時間があったので、最後にもう一度、津軽海峡を眺めたくて、雨がやむのを首を長くして待っていた。

15分ほどで小降りになり、外に出てみた。
一昨日の夜に散歩した行程を進み、青森ベイブリッジをくぐった。
今から59年前、1954926日に函館で1,155人の死者・行方不明者を出した青函連絡船の悲劇に想像を膨らませた。
きっとあの時も、「10年に1度」と言われるような台風だったのかな、と思いながら。

【青森駅全景】
(2013年10月17日)


【青森ベイブリッジと八甲田丸】
(2013年10月17日)


【函館へ向かう青函連絡船】
(2013年10月17日)

時間になったので、私は青森駅のファミリーマートで行きの仙台とそうしたのと同じように、昼食のおにぎりとお茶を購入した。

仙台行きの高速バスは、1020分に青森駅前8番のりばに姿を見せた。
帰りは、宮城交通が運行する車両だ。
こうやって遠い地に身近な名前のバスがあると、迎えに来てもらったというか、今から帰るのだな、という気がして安心する。
乗客数は行きと同じで、20人ほど。
2人組や3人組が多く、車内は時々にぎやかだった。

【青森駅前の案内所】
(2013年10月17日)


【仙台行き高速バス】
(2013年10月17日)

雨もやみ、雲の切れ目から青空がのぞく中、定刻の1030分に青森を発車した。
1045分に青森中央ICから青森自動車道に入り、まもなく青森料金所から始まったばかりの東北自動車道に合流。
10分ほどの羽黒平は通過し、次の牡丹平には停車した。
ここで2人乗ってきた。

青森を発車して1時間20分。
トンネルを抜けるたびに雨と晴れの天気を繰り返す空の下を走りながら、最初の休憩は秋田の花輪SAで取られた。
10分の休憩で発車し、岩手に入ると台風一過の晴天が広がった。
岩手山の全景を眺めながら盛岡を通過すると、交通量が増え始めた。
2回目の休憩は、1345分から10分間、岩手の前沢SAで取られた。
宮城に入り、仙台平野が過ぎると仙台宮城ICを出た。

1515分。
定刻より15分早く仙台駅前42番に到着。
私の予定通りである。
行きの時と同じように反対側の車線に回って、40番のりばで福島行きを待つ。
まだ1520分発の秋田行きと気仙沼行きが止まっていた。
この2台が発車するとすぐに、酒田・本荘行きと福島行きが入ってきた。
福島行きの車両は、宮城交通の運行だった。
今日は青森から宮城交通にお世話になっている。
宮城交通は社員教育に力を注いでいるのか、運転が丁寧で追い越しもうまく、まさに「ベースカ―」にふさわしく快適であるので、青森から福島まで宮城交通バスで移動できるのは嬉しい。

1530分に仙台駅前を発車し、広瀬通り一番町で5人が乗り、乗客20人を乗せた高速バスは、一路福島をめざす。
村田JCTまでは酒田・本荘行きと並んで走り、国見峠を抜けて眺める夕日に照らされた福島盆地が美しかった。
福島飯坂ICを出ると、天王下、原田東、稲荷田、中央郵便局と停車して、1640分に福島駅東口に到着した。

福島駅の1番線ホームには、ちょうど1651分発の東北本線上り普通郡山行きが停車していたので、10分ほどの乗り換え時間でスムーズに乗り継ぐことができた。
偶然にも車内で二本松に住む友人に遭遇したので、今回の旅の話を聞いてもらいながら、金谷川まで列車に揺られた。

福島駅から10分で最寄りの金谷川駅に到着した。
ここから部屋までは、歩いて10分だ。
17時過ぎ、なんとか日が暮れる前に部屋のドアを開けることができた。
ただいま、福島。

今日の福島は朝から快晴だったのだろうか、台風一過にふさわしい気持ちの良い夕焼けが広がっていた。
今回は1カ月近く前から計画していた旅行だったにも関わらず、見事なまでに台風と遭遇してしまい、思い出になる旅だった。
トラブルは旅のスパイスとは言われるが、私の旅はいつもスパイスが効いてとても辛味仕様になっている。
今回、蔦沼を見ることができなかったこと、酸ケ湯温泉に入れなかったことはとても残念だったけど、それを見るにはまだ私には早いのかな、と思うことにして、また旅に出ようと思う。

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vlo.5~中野神社の夜紅葉~

その後、学生1人は17時からアルバイトがあるというので、別れた。
16時頃、雨がやんできた。
どうやら台風は北海道の東方沖へと抜けたらしく、西から青空が広がり始めた。

これから紅葉のライトアップを見に行こう、ということになり、山の中、車を飛ばした。
青森市内から1時間ほどでやってきたのは、弘前市の郊外にある黒石の中野神社。
紅葉はまだ始まったばかりであったが、不思議なライトに照らされた神社の境内が、まるで長崎の出島のように浮かんで見えた。

【雪でつぶれた車を放置】
(2013年10月16日)


【出島のような中野神社】
(2013年10月16日)


【ライトアップされた中野神社の境内】
(2013年10月16日)


【中野神社の境内を流れる不動滝】
(2013年10月16日)

それからまた1時間かけて国道7号線を走って青森市内へと戻り、夕食は佃にある「ラーメン・ワールド」という個人経営のレストランへ。
このレストランの隣には、もう絶滅したのかと思っていた「小僧寿しチェーン」が営業していた。
ラーメン・ワールドでは、味噌バターコーンラーメン820円を注文した。
器が大きく、バターたっぷり、野菜たっぷりのラーメンで、1杯で満腹になった。
味噌ラーメンと言っても、今流行りのこってりではなく、しょっぱくてでろっとした北国ならではの味であった。
地元の人がよく利用するレストランに連れて行ってもらえたことがうれしくて、満足した。
20時にはホテルまで送り届けてもらい、お別れとなり、こうして短い1日は終わった。

【「ラーメン・ワールド」の味噌バターコーンラーメン】
(2013年10月16日)

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vol.4~青森満喫~

青森2日目の1016日は、朝から首都圏で交通障害が発生していると繰り返し報道された。
青森は1日雨の予報だったので、当初予定していた蔦沼・酸ケ湯方面への観光は取りやめ、三内丸山遺跡・青森県立美術館・浅虫水族館を回ることになった。

630分に起床して、7時にホテルで朝食。
身支度を済ませて、830分に迎えが到着した。
今日は1日、青森の学生4人に青森を案内してもらうことになっていたのだ。

最高気温は10℃の予報で、冷たい雨が降りしきる中をまずは三内丸山遺跡へと向かった。
9時の開館と同時に入場し、遺跡ツアーに参加した。
長靴と大きめの傘を借り、おばさんガイドについて行った参加者は10人あまり。
我々のグループからは2人が離脱し、3人が参加。
よくもこんな天気の悪い日にツアーに参加する人がいるものだな、と思ったが、世の中に風変わりな人は意外と多いのかもしれない。
いや、青森まで流れついてくる人たちが風変わりなだけなのかもしれない。
優秀な人は東京へと出て行き、青森に残るのはそうでない人ばかり。
田舎は住むところではなく、遊びに来るところ、そんな話を聞いた覚えがあった。

遺跡ツアーではずぶ濡れになりながら、なんとか一周。
長靴を借りたから幾分ましではあったものの、それすらなかったら一体どうなっていたことでしょう。
きっと風邪を引いていたに違いありません。

【三内丸山遺跡】
(2013年10月16日)

途中から岩手県の小学生が団体でやってきたので、我々は早々に切り上げ、隣の青森県立美術館へ。
この美術館では、「あおもり犬」というモニュメントが有名であるが、学生たちからは「がっかりするよ」と聞かされて美術館に入った。
常設展のみの入場で美術館を回り、そのモニュメントが目の前に現れた時、「なるほど。」と思った。
確かにたいしたことはなかった。
一度訪れれば、もう良いだろう。

【青森県立美術館】
(2013年10月16日)


【あおもり犬】
(2013年10月16日)

お昼は、問屋町にある「たか久」というファミリーレストランへ行った。
青森市内に数店舗を展開しているというこのレストランは、看板にねぶたの絵が描かれており、安くて量が多いということで地元の人がよく利用するお店だそうだ。
中に入って靴を脱ぐのだが、その靴を入れる下駄箱の鍵が半分くらいなくなっており、半開きの状態が多くあった。
店員は、「鍵の付いている下駄箱をご利用ください」と言うが、このやる気のない感じが田舎らしくて良かった。
料理は定食屋のようで、私はかつ丼とかけそばのセット800円を注文した。
特別においしいというわけではなかったが、しょっぱさが青森の味を物語っていた。

食後は、浅虫水族館へ。
この水族館は、大正9年に東北大学の研究所として作られ、青森県営に移管してから今年で30周年だという。
イルカショーが人気で、平日の台風の中にも関わらず、ショーの席は半分以上も埋まっていた。
水族館の施設自体は30年の年期を感じ、案内表示やお土産ショップ、自動販売機などで昭和の香りが漂ってきた。

【浅虫水族館】
(2013年10月16日)


【イルカショー】
(2013年10月16日)

水族館のあとは、国道4号沿いにあるコンビニエンスストア「みちのく」に立ち寄った。
このコンビニは手作りシェークが有名らしく、特に「いちごミルク」420円は大人気で、夏は国道が渋滞するほど混むという。
気温10℃の雨の中、さっそく私はいちごミルクシェークを注文。
果肉がジューシーで、こんなにもおいしいシェークはおそらく初めて飲んだであろう。

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vol.3~台風前夜の散策~

さて、15時過ぎに早々と青森国際ホテルにチェックインした私は、3時間ほどの仮眠をとって、18時に活動を再開。
まずは、青森地盤のデパート「中三百貨店」を視察。
平日の夕方、それも台風前ということで、店内が2Fから8Fまで、おそらく客は1人もいなかった。
地下1F2Fのデパ地下フロアへ行くと、ちらほらと客がいた。
つづいて、若者の集まる「アニメイト」へ。
こちらは学校帰りの高校生と賑わっていると踏んだが、実際には数えるほどの客しかいなかった。
そして、仙台地盤のデパート「さくら野百貨店」へ。
こちらは中三よりもテナントが充実しており、すべてのフロアで客を確認することができた。
福島の百貨店「中合」も含め、地方都市の百貨店は瀕死状態のように見える。
しかし、三越伊勢丹の傘下に入った郡山の百貨店「うすい」は、平日でもそれなりに混雑しており、勝敗の原因はどこにあるのか、疑問を持った。

夕食を青森駅前の「おさない食堂」で取ろうと思っていたが、体育の日の振替で火曜日が休みだと分かったので、わざわざ青森まで来て「さくら野」のデパ地下で、半額で売っていた富山の駅弁「ます寿司」を買ってしまった。
台風が日本列島に接近していると聞いていたが、青森はまだ雨が降っていなかったので、津軽海峡を臨む青森ベイブリッジ周辺を散策してみた。
20時頃に部屋に戻り、シャワーを浴びてから缶ビールとます寿司で夕食を取った。

以下、青森の夜景をご紹介。

【青森ベイブリッジと八甲田丸】
(2013年10月15日)


【物産館アスパムと青森ベイブリッジ】
(2013年10月15日)


【青森ベイブリッジから眺める青森市街】
(2013年10月15日)


【小さくなってしまった青森駅の夜】
(2013年10月15日)


【Aファクトリーとベイブリッジ】
(2013年10月15日)

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vol.2~青森国際ホテルの思い出~

【青森国際ホテル入口】
(2013年10月17日)


【ホテルのロビー】
(2013年10月17日)


【エレガントなエレベーター】
(2013年10月17日)


【落ち着いたつくりの客室】
(2013年10月17日)


【シングルベッドは寂しい】
(2013年10月17日)

今回は、老舗の青森国際ホテルに宿泊する。
私は今回、チェーン化されたホテルがはびこる地方都市で、その街の人が結婚式や宴会に使うステータスとなっている地元に親しまれているホテルに泊まることを選んだ。
この発想の背景には、福島市の「ホテル辰巳屋」や「ビューホテル」のことが頭の中にある。
創業70年を超えるような地元に根付いた素晴らしいホテルが地方都市にはそれぞれあって、そこには地元の心がこもっていると思ったからだ。
それでいて今日ではチェーン化されたホテルとの競争を強いられ、価格もかなり下がっている。

青森国際ホテルは、そんな私の期待を裏切ることはなかった。
建物は新しくはないが、ロビーから客室に至るまでの絨毯はきれいに掃除され、丁寧に使われていることが見てとれた。
そしてフロントからドアマン、レストラン、清掃のおばちゃんまで、従業員のホテルに対する誇りを感じた。
部屋には、手作りの列車時刻表や地元の観光案内の冊子が置かれていた。
最終日、チェックアウトをして外に出た時に、ちょうど通り雨が降ってきた。
駅までタクシーを使う距離でもないし、どうしようかと考えていたら、フロントの人がビニル傘を持ってきて
「こちらを差し上げます。お使いください。」
と、下さったのだった。
他のホテルでもやっているのかもしれないけれど、こういったタイミングを見計らって配慮をしてくれると、感動する。
これこそが日本の「お・も・て・な・し」だと思った。

【国内旅行】台風に乗っていく青森の旅Vol.1~高速バスを乗り継ぐ~

20131015日から17日まで、23日の行程で青森へ出掛けてきた。
1015()
三連休の雲ひとつない秋晴れから一転、これから下り坂の予報だった。
まるで私がみちのく路を下っていくのと沿うように、台風も北上するというのだ。

出発の朝はまだ、晴れていた。
7時に起床し、身支度を整えて7時半に出発。
最寄りの金谷川駅までは、歩いて10分だ。
電車の到着とほぼ同じくして私は、ホームに立った。
金谷川743分発、東北本線下り普通仙台行きの6両編成だ。
車内は通勤・通学客で混雑し、高校生は英語の単語帳をめくったり、静かにおしゃべりをしたりして、過ごしていた。
10分ほどで福島駅に到着し、東口のバスターミナルに向かう。
仙台から青森までのバスは予約制なので、事前に支払いを済ませておいたが、福島から仙台までは通勤路線なので予約の必要はない。
福島交通の窓口で福島から仙台までの往復乗車券を購入し、仙台行きの列に並ぶ。
15分ほど待っていたが、その間に市内の路線バスがひっきりなしに発着し、会津若松からの高速バスも発着した。
若松から到着したバスからは、通勤客や行楽客、通学の高校生まで含まれていた。
毎日、会津と福島を行き来するのは、さぞかし大変なことだろうと思った。

【福島駅東口バス乗り場】
(2013年10月15日)

ほぼ定刻で、福島発仙台行きの高速バスが到着し、さっそく乗り込む。
運行会社は福島交通で、通勤時間帯が一服したためか、乗客は10人ほどしかいなかった。
「福島~仙台」は、JRバス東北・宮城交通・福島交通の3社が共同運行している。
3分遅れの813分に福島駅東口を出発し、福島中央郵便局、稲荷田、原田東、天王下と止まり、途中からは合わせて5人ほどが乗ってきた。
835分に福島飯坂ICから東北自動車道に入り、さまざまなナンバープレートが入り混じった交通量の多い高速道路を下る。
国見峠を越えて宮城県に入ったあたりから空は曇りはじめた。
村田JCTで山形・酒田へと延びる山形道と分岐し、今日から始まった仙台宮城~泉の改修工事で心配していたる渋滞もなかった。
920分に仙台宮城ICを出て、青葉山トンネルを抜けると仙台の中心市街に着いた。
仙台側の最初の停留所は、広瀬通一番町。
仙台駅からは地下鉄で1駅の、国分町に近い仙台の中心街だ。
ここでほとんどの乗客が降り、終点の仙台駅前の42番バス停には10分遅れの940分に到着した。
青森行きのバスは、1030分に発車する。
目の前にあったファミリーマートで、お昼に食べるおにぎりを2つとペットボトルのお茶を購入。
レジに並んでいると、新発売の「ファミマプレミアムチキン(骨なし)」が目に入り、200円と高かったが衝動買いしてしまった。

【仙台・宮交高速バスセンター】
(2013年10月15日)

バスを降りた42番から反対側の車線の40番に移動して、宮城交通の高速バスセンターに入った。
仙台の待合室は広くきれいで、乗り継ぎで待つには心地よい空間だ。
さっそくベンチに腰掛け、さっき買ったファミマプレミアムチキン(骨なし)を食べる。
味の方は胡椒でごまかされた感じがあり、200円あったらイトーヨーカドーのポッポにある「メガポテト」の方がいいな、と思った。

前に設置されたNHKニュースを見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまい、アナウンスが入った。
1030分発、青森行きをご利用のお客様、40番のりばへお越しください。」
盗み聞きするに、石巻や福島へ向かうビジネス客をよそに、私は待合室をさっそうと立ち去る。
40番のりばへ行くと、青森行きのバスが入っていた。
乗客は20人ほどで、東北楽天イーグルスのキャップをかぶったおじさんや、荷物をたくさん抱えながら津軽弁を話す老夫婦などが、座席の位置を確認していた。
運航会社は、津軽地盤のバス会社である弘南バスだった。
「仙台~青森」は、JRバス東北・宮城交通・十和田観光・弘南バスの4社が共同運行している。

【青森行きの高速バス@仙台】
(2013年10月15日)

仙台駅前を定刻の1030分に発車したバスは、福島発着の高速バスは停車する「広瀬通一番町」には止まらずに、10分ほどで仙台宮城ICから東北自動車道に入る。
空はすっかり厚い雲に覆われてしまい、昼間なのに薄暗い。
仙台平野を北上し、1回目の休憩は岩手県の前沢SA
1150分から12時までの10分間だった。

トイレ休憩を挟んで、バスはすぐに発車。
小沢一郎の地元である水沢で、車窓に映る4車線の農道を見ながら、仙台のファミリーマートで買ったおにぎりを食べる。

バスは右手に盛岡の市街地を、左手に岩手山を眺めながら北へ進む。
「滝沢出口」の看板を見ながら、ここが来年11日に村から市に一気に昇格する噂の滝沢村かと思う。
そういえば盛岡を過ぎたあたりから乗り心地が著しく悪くなった気がする。
そして西根ICから終点青森までは最高速度が常時80km/hに規制されているのだという。
地震の影響か、除雪車の影響かは分からないが、インフラはこうやって末端地域から崩れていくのだな、と思った。

1345分、秋田県の花輪SA2回目の休憩。
木々はすっかり色づいていて、きれいだった。
ここでも10分ほどですぐに発車した。
雨こそ降らないものの、外は一時真っ暗のようになった。
深い十和田の山の中をトンネルと橋をまたいで抜けていく。

【青森駅に到着】
(2013年10月15日)

1420分を過ぎたころ、峠を抜けて津軽平野に入った。
左手に弘前市街を眺め、両脇に広がるりんご畑を走っていると、最初の停留所「牡丹平(高速黒石)」が近づいてきた。
車内アナウンスが流れ、誰も下車しないことが分かると、バスは牡丹平を通過した。

いよいよ本州最北の地である青森市に突入し、牡丹平から10分で次の「羽黒平(高速浪岡)」の停留所がやってきたが、ここも通過。
東北自動車道の青森料金所を手前にしてバスは青森自動車道に入り、青森市街が見えてくると、4年前に開通したばかりの東北新幹線の高架をくぐった。
かつては夜汽車で行き来した青森も、今や東京から新幹線で3時間あまり。
各地方都市の駅前にはビジネスホテルが林立し、営業所は廃止され、車中泊の回数も減ったことだろう。
昔に比べて移動が速くなった分、時間ができたはずなのに、そのゆとりはどこへ行ってしまったのか、世間はますます忙しくなる一方である。
移動に時間をかけるということは、余暇時間を確保することであって、ものをゆっくり考えられる意外に重要なことなのかな、と思った。
道路脇から広がる田んぼは、すでに稲刈りを終えたようで、冬の足音が聞こえるようだった。

【青森駅前に到着した高速バス】
(2013年10月15日)

厚い雲に覆われた1450分。
高速バスは青森中央ICを出て、青森市街へと入っていく。
何度も信号で止まりながら、ついに1510分、青森駅前に到着した。
5回目の、そして5ヵ月ぶりの青森である。

寿命。

【青森ベイブリッジと八甲田丸】
(2013年10月15日)

こんばんは。
今日は、旅先の青森から更新します。
予定では旅の途中で日記を記録していき、帰るのと同時に更新しようと思っていたのですが、その作業は少し遅れています。

さて、今日は「寿命」について書いていこうと思います。

缶ビールを買いにホテルの12Fにある自動販売機まで行ったが、そこで手が止まった。
魔が差したのか、コカコーラを買って部屋に戻りました。

今日は午前中、台風の中を三内丸山遺跡へ行きました。
縄文文化を伝えるこの遺跡には、4千年以上前の生活の痕跡が残っています。
当時の人々の平均寿命は、35歳程度だったといわれている。

35歳。
私は今22歳。
当時であれば、あと13年の命だ。

今日、世界一長寿の国となった日本の平均寿命は83歳。
しかし、アフリカのシエラレオネという国では、内戦の鎮静化で改善されつつはあるものの、最新のデータで47歳と推計されている。
そして私の左手の生命線は、50歳くらいで切れている。
手相は変わっていくものだから長生きできるかもしれないけれども、改めて考えると、50歳までということはもう半分を生きたことになる。

今までは、人生これからだ、と期待に胸を膨らませていたが、もう半分来てしまったのかと思うと、たまらなく悲しくなる。
50歳といったら、今の両親と同じくらい。
祖母はまだ生きている。
親よりも先に逝ってしまうのか。
それとも親を追うように逝ってしまうのか。

まだ何もやっていません。
このまま生きた証が何も残らないで死んでいってしまうのでしょうか。
人生とは、そんなものなんでしょうか。
私が先祖のことを何も知らないのと同じように、私の子孫も私のことを知らないで育っていくのでしょうか。

そんなことを考えてみたら、先祖から受け継いできたこの命を、せめて次の世代へ引き継ぎたいと思いました。
子どもを育ててみたいし、孫の顔も見てみたい。
ただの自己満足なのかもしれません。
でも、確実に自分が先祖から受け継いできた命を、子孫に託すことができたのを見届けてから死にたいです。
せめて、親より先に死にたくはありません。

もし神様が私の長生きを許さず、もう半分が過ぎてしまっているのだとしたら、「私は90歳まで現役だ」なんて悠長なことを考えていないで、早く何とかしなければならないと思います。
どうせ定年前にいなくなるのですから、老後の保険なんかを考えずに、目的地まで最短で行かなければなりません。
それこそ、100m走を全力でダッシュする勢いが必要です。

死ぬときに、それは25年後かもしれませんし、70年後かもしれませんし、明日かもしれませんが、満足して去りたいと思います。
今はまだ、死ねません。

2013年10月12日土曜日

寝過して郡山へ

【栃木県「五十里湖」を国道121号線から】
(2012年11月10日)

こんばんは。
もうすっかり秋です。
今週は久しぶりに大学生の生活を送った気がした1週間でした。

月曜日は留学帰りの女子学生と喋って研究室に行って、火曜日はゼミがありました。
ゼミでは、初めての試みである議事録の作成を行いました。
我ながらタイピングのスピードが上がっているな、と思いました。

ゼミのあとに新しく加わった2年生を歓迎するために、福島市内の居酒屋で歓迎会がありました。
飲み会に参加した2年生全員と喋ることができて、満足しました。

一次会が9時に終わって、私は少し飲みすぎてしまったので、今日は二次会には参加せずにまっすぐに帰ることにしました。
福島駅21時28分の上り電車に乗りました。
通常であれば最寄りの金谷川駅まで10分で到着します。

しかし、なんてことでしょう!
目が覚めたら、そこは五百川でした。
福島から、南福島、金谷川、松川、安達、二本松、杉田、本宮、五百川と、金谷川から6駅も乗り過ごしてしまいました。
まだ意識がもうろうとして、立てなかったので、うとうとしていたら、五百川、日和田と過ぎて、郡山に着いてしまいました。
終点の郡山に到着した電車は、そのまますぐに折り返しの福島行きの下り電車になるとの放送があったので、またしばらく眠ることにしました。
郡山から金谷川までは、40分で着きます。
うとうとしていて、二本松で多くの乗客が降りるのがわかったので、あともう少しだと思っていたら、福島駅に戻ってきてしまいました。

無性にしょっぱいものと冷たいものが食べたくなったので、福島駅をいったん出て、セブンイレブンでフランクフルトとチョコモナカジャンボを買いました。
ホームに戻って1番線で、23時30分に発車する最終電車を待っていると、仙台からちょうど帰ってきた友人と合流しました。
もうすっかり酔いも覚めました。
なんともったえない時間の使い方をしたことでしょう。

福島駅を発車すると、三次会へ行ったゼミ生から南福島で降りて戻ってくるように言われましたが、早く部屋で寝たかったので、断ってしまいました。

水曜日は二日酔いになることなく、午後から4年生だけのゼミに参加してきました。
夕方に終わり、図書館で1年生の女子学生と会いました。
会う瞬間に殺気を感じたので、覚悟しました。

そのあとは図書館の外のベンチに座って喋りました。
蚊に刺されました。

それから金谷川駅前の「たんぽぽ」でお気に入りの「やきから定食」を食べて、研究室へ。
女子学生に殺されかけた(笑)ことを先生に報告しました。

それと同じくして、ゼミの中の男子学生で唯一進路が決まっていなかった友人が、西日本の大学院に合格したと知りました。
私の不幸の犠牲の上にいい報告がもたらされたというのは、私の思い上がりでしょうか。笑。

木曜日は朝9時半から夕方6時半まで勉強しました。
金曜日も朝9時半から夕方6時半まで勉強しました。
土曜日、今日は朝9時半から午後3時半まで勉強しました。

昨日は夜、走りました。
思いっきり走りました。
福島を走りました。

今日は、福島市内で稲荷神社例大祭が、松川地区で提灯祭りが行われているようですが、私は行きませんでした。
午前中は30℃近い暑さでしたが、昼過ぎから北風に変わり、夕方には一気に15℃くらいまで下がったと聞いています。
寒いです。

台風が近づいているようですね。
来週の火・水・木曜日の2泊3日で青森へ紅葉狩りへ行く予定です。
青森駅前の青森国際ホテルに宿を取りました。
新幹線で行くか、高速バスで行くかは、まだ決めかねています。
ちょうど台風が重なるようです。
なんとか日本列島から遠ざかってもらえないだろうか、と思いつつ、最近の私の運の悪さを思うと、今回の台風は列島直撃だろうなぁ、と絶望しています。

来月は、5泊6日で長崎、福岡、広島に行くことが決まりました。
交通費と宿代だけで6万円が見込まれています。
あぁ、このお金があれば東南アジア一周できるのになぁと思いつつ、今回は広島で合同ゼミ合宿ということで、「総理大臣になる」とかって言う面白い学生も参加していることを期待して、楽しみにしています。

明日は久しぶりのアルバイト。
週1だと感覚も鈍ってしまいますね。

そういえばさっき、約10カ月ぶりくらいに鍵を差し込んで、私のポルシェで金谷川の閑静な住宅街をドライブしました。
ポルシェと言っても、自転車ですが。
っていうか、ただのママチャリですが。
私にとっては、ポルシェなのです。
大学1年の6月に6000円で買った中古のポルシェです。
だいぶ埃をかぶっていたので、きれいに拭きました。

では、また。

2013年10月8日火曜日

久しぶりの大学

(大学・寄宿舎)

ここのところ頻繁に更新しているJunJunです。
最近、よほど暇なんでしょうね。

今日(というか昨日)は、久しぶりに昼間の大学へ行きました。
私は大学の敷地内に住んでいるので、ある意味でほぼ毎日大学にはいるのですが、講義棟や学食の方へ行くのは久々でした。

夏休みも終わった大学は、学生たちで賑やかでした。
履修登録がうんぬん、あの教授はかんぬん…
何かとても懐かしいような、たった3年前のフレッシュマンの時が遠い過去のように感じました。
社会人になったらもっともっと大学というものが遠くなるのかなぁなんて思ったり。

久しぶりに昼の繁忙時に学食へ行きました。
今日はイギリスから帰国したばかりの女子学生とランチでした。
彼女とは入学式直前の友達作ろう会みたいなところで知り合いになり、付き合いも4年目に入りました。
入学当時から留学に興味があったらしく、彼女はずっとタイミングを見計らっていました。
そして昨年からのこの1年で念願の英国へと飛び立ちました。
出発前、世間知らずのバリバリキャリアウーマンをめざす根拠のない自信で満ちた彼女は、とても輝いていました。
それが帰国してどうでしょう。
根拠のない自信を片っ端から打ち砕かれたのか、とても小さくまとまって帰ってきました。
私はガッカリしました。
1時間余り話を聞いて、そのあとSNSでやり取りをして、元気づけました。
これから少しずつ自信を取り戻していくことを期待しています。

昼休み、英国から帰国した彼女のほかに、もう1人の女子学生も同席していました。
彼女とも入学当初からの付き合いがあり、おもに学部の自治会でのつながりでした。
特に親しくなりはじめたのは、ここ1年くらいでしょうか。
こちらの彼女は資格をめざしながらも就職活動に挑み、東京の大手証券会社の総合職から内定を得た学生です。
彼女はどちらかというと根拠のある自信しか示さない方で、裏の世界、真実の世界を追うような傾向が強いです。
今も毎日勉学に励んでおり、今度の資格試験がどうのこうの、と言った会話をしました。

女子学生2人とランチのあとは、新聞記者になる学生と少し喋って、研究室へ。
11月の広島出張についての詰めを行い、「世界平和」について少し議論して、途中から新聞記者の彼が合流。
夕方まで研究室に居座って、新聞記者と夕飯を学食で取りました。

部屋に戻って1年生の女の子と少し電話をしました。
話をすればするほど、私とは遠い関係なのかなぁと思いました。
最初は価値観も似ていて、いい関係になれるだろうなぁと期待していましたが、親しくなるにつれて彼女の中での私の影響力がみるみる低下していったような気がしました。
何か話せば話した分だけマイナスポイントが加算されているような気分です。
他にもアルバイトのことや勉強のことが重なり、このところ気分もあまりよくありません。
変な時間に寝たりするものですがから、生活リズムも崩れてますますおかしくなっていきます。

まっとうな大学生活を送れていて、本当に夢の中で生きているような気分です。
これかられも楽しく愉快な大学生活をつづけようと思います。
明日は専門演習と飲み会です。
今期は就職後に向けた準備の一環として、教授にも相談して議事録の作成を行うことにしました。

それでは、おやすみなさい!

2013年10月7日月曜日

これから。

(蔵王の夏)

夢も愛も希望も金も無い。

金曜の夜、事件が起きていたらしい。
私の部屋の向かいの建物で自殺した学生がいた。
先週1週間は東京におり、週末は宮城へ。
たまたま金曜の夜だけ、私は部屋に戻っていた。
この偶然なタイミングに悲しくなる。

先日、辻村深月「ツナグ」を読んだ。
私の会いたい人は死んだわけじゃないけど、感傷に浸りたい気分だった。

それぞれの人には過去があると思う。
でもその過去に縛られていたら、前には進めないと思うんだよね。
嫌われるのが怖いとか、否定されるのが嫌だって言うけどさ、別にあなただけじゃないんだよ。
都合のいいように解釈してさ、ちょっとマンガの読みすぎじゃないの?
うまくいかないことの方が多いと思うんだよね。
それでも積極的に打って出て、100個やって1個成功すれば大成功くらいの人が、成功しているのかなと思う。

振り返って私の人生、どうだろう。
まだまだ足りないと思った。
想像力も実行力も足りない。

もっと積極的に女の子に声をかけよう!