2013年10月17日木曜日

寿命。

【青森ベイブリッジと八甲田丸】
(2013年10月15日)

こんばんは。
今日は、旅先の青森から更新します。
予定では旅の途中で日記を記録していき、帰るのと同時に更新しようと思っていたのですが、その作業は少し遅れています。

さて、今日は「寿命」について書いていこうと思います。

缶ビールを買いにホテルの12Fにある自動販売機まで行ったが、そこで手が止まった。
魔が差したのか、コカコーラを買って部屋に戻りました。

今日は午前中、台風の中を三内丸山遺跡へ行きました。
縄文文化を伝えるこの遺跡には、4千年以上前の生活の痕跡が残っています。
当時の人々の平均寿命は、35歳程度だったといわれている。

35歳。
私は今22歳。
当時であれば、あと13年の命だ。

今日、世界一長寿の国となった日本の平均寿命は83歳。
しかし、アフリカのシエラレオネという国では、内戦の鎮静化で改善されつつはあるものの、最新のデータで47歳と推計されている。
そして私の左手の生命線は、50歳くらいで切れている。
手相は変わっていくものだから長生きできるかもしれないけれども、改めて考えると、50歳までということはもう半分を生きたことになる。

今までは、人生これからだ、と期待に胸を膨らませていたが、もう半分来てしまったのかと思うと、たまらなく悲しくなる。
50歳といったら、今の両親と同じくらい。
祖母はまだ生きている。
親よりも先に逝ってしまうのか。
それとも親を追うように逝ってしまうのか。

まだ何もやっていません。
このまま生きた証が何も残らないで死んでいってしまうのでしょうか。
人生とは、そんなものなんでしょうか。
私が先祖のことを何も知らないのと同じように、私の子孫も私のことを知らないで育っていくのでしょうか。

そんなことを考えてみたら、先祖から受け継いできたこの命を、せめて次の世代へ引き継ぎたいと思いました。
子どもを育ててみたいし、孫の顔も見てみたい。
ただの自己満足なのかもしれません。
でも、確実に自分が先祖から受け継いできた命を、子孫に託すことができたのを見届けてから死にたいです。
せめて、親より先に死にたくはありません。

もし神様が私の長生きを許さず、もう半分が過ぎてしまっているのだとしたら、「私は90歳まで現役だ」なんて悠長なことを考えていないで、早く何とかしなければならないと思います。
どうせ定年前にいなくなるのですから、老後の保険なんかを考えずに、目的地まで最短で行かなければなりません。
それこそ、100m走を全力でダッシュする勢いが必要です。

死ぬときに、それは25年後かもしれませんし、70年後かもしれませんし、明日かもしれませんが、満足して去りたいと思います。
今はまだ、死ねません。

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