2014年8月16日土曜日

夏の思い出2014


就職して初めての夏休みを迎えました。
8/10()8/17()1週間です。
東京の生活にもなかなか慣れずに4カ月が過ぎてしまいました。
7月の中旬には2週連続で福島へ出かけていて、東北が恋しくて仕方ありません。
8/9()は、出勤日でした。
日報を提出するのに時間がかかってしまい、会社を後にしたのは午後9時。
それから先輩社員と同期と3人で飲食店へ寄りました。
今日が土曜日であるということを忘れていて、金曜日の感覚でいたら危うく最終電車に乗り遅れるところでした。


【東京駅から東北新幹線に乗車(2014/08/10)】


日も変わり、翌日8/10()は午前7時に起きました。
出発まで2時間もあり、ニュースを見ながら余裕な気持ちで準備をしていたら9時を回ってしまい、慌てて部屋を出ました。
神楽坂駅から地下鉄東西線に乗り、大手町駅から東京駅まで歩きます。
新幹線の発車までおよそ15分です。
スーツケースを引きながら早歩きで東京駅の改札口を入り、ごった返しになっているコンコースを進みます。
そしてエスカレーターを上がると、新幹線はすでに停まっていました。
東京駅948分発やまびこ177号仙台行きに乗り、曇り空の都心を進みます。
JRの予約サイトでは、乗車する新幹線がほぼ満席になっていたのですが、東京駅を発車した時点では、それほどの混雑ではありませんでした。
上野駅でもそれほど混まず、のんびりとした時間が流れます。
車掌さんが社内アナウンスで停車駅の到着時刻と車内設備の案内を終えたあと、「目的地までごゆっくりとお寛ぎください」と一言付け加えたことを粋に感じました。
住宅街を抜けると大宮駅です。
ここでは多くのお客さんが乗ってきて、車内はいよいよ満席になりました。
まもなく一面に田んぼが広がり、関東平野を北へ進みます。
宇都宮駅を出ると眠くなり、那須高原を越えて郡山駅に到着です。
ここで3分の1くらいのお客さんが降りて、郡山駅から15分で福島駅です。
福島駅では山形新幹線つばさ号と切り離しがあるので、少し停車しました。
大宮駅から隣に掛けてきた男性も福島駅で降りていきました。
そして福島駅を発車して20分あまりで仙台駅に到着です。
ここで岩手県に帰省する会社の同期とたまたま遭遇し、記念撮影をしました。
仙台駅からは1207分発の仙石線に乗り継ぎ、12時半過ぎに高城町駅で迎えの車に乗り込み、古川へ向かいました。
古川では親族17人が集まってバーベキューを楽しみました。


8/11()は古川で過ごしました。
午前中はカメラのキタムラへ行って親族で撮影した写真をプリントアウトして、夕方に三本木町にある温泉「八峰荘」へ行きました。
温泉に浸かり、夕食をいただいて、松島町へ移動しました。


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


【えさし藤原の郷(2014/08/12)】


8/12()は松島町から車で岩手県奥州市にある「えさし藤原の郷」へ行きました。
築館インターから東北道に入り、水沢インターで降りました。
奥州市内に入り、盛岡冷麺と焼き肉で有名な「やまなか家」で午前11時の開店と同時に入店して、昼食をいただきました。
お会計のときに、レジの横にある家庭教師のパンフレットを拝見したら、大学の後輩が教師として写っていて、思わず声を上げてしまいました。
お腹も満足して本日の目的地であるえさし藤原の郷へ。
さすがはお盆休みということもあり、とても混雑しています。
えさし藤原の郷は、「みちのくのハリウッド」とも呼ばれる大がかり映画の舞台が展示してあります。
数々の大河ドラマのロケ地として取り上げられ、その他のさまざまな番組で出てきます。
以前から行ってみたかったのですが、駅から遠いということもあり、なかなか実現しませんでした。
とても満足したテーマパークでしたが、私が最も気に入ったのは、テーマパークの隣にある資料館でした。
資料館には、水沢の歴史が紹介されており、奥には仏像が数十体も並べられた部屋がありました。
そこの部屋の独特な雰囲気が、とても良かったです。
予定ではえさし藤原の郷の後に平泉へ行くつもりでしたが、ゆっくりと見すぎて午後4時を回ってしまったので、今日はここだけで終わりにすることにしました。
帰りも来た道を戻り、塩釜市のビッグエコーでカラオケをしてから松島町へ戻りました。


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【山寺・立石寺(2014/08/13)】


【塩釜神社(2014/08/13)】


8/13()は、松島駅を午前1109分発の電車に乗って、山寺へ向かいました。
仙台駅から仙山線に乗り換え、山寺に着いたのは午後1時過ぎです。
途中、作並駅から山寺駅までの峠の区間で、携帯電話の電波が連続して圏外になりました。
このような山奥がとても良いです。
宮城県と山形県の県境に、奥日川(おくにっか)駅という駅があるのですが、この近くにはニッカウィスキーで有名な「宮城峡」の蒸溜所があります。
ニッカウィスキーの「ニッカ」は、この「日川」に由来するのかと思って調べたところ、関係はなく、ニッカウィスキーの創業者である竹鶴政孝翁も名前の一致に驚いたということでした。
そんなことをスマートフォンで調べながら山寺に到着しました。
大学に入ってから立石寺は何度も訪れており、階段のペースもすっかり身についています。
家族連れの観光客を横目に、一人で黙々と階段を登ります。
目的地の五大堂から眺める風景をシャッターに収め、階段を下り始めた時に、大きな荷物を背負った郵便局の配達員さんとすれ違いました。
郵便局の方は、毎日この長い階段を上って郵便物を届けているのだな、と思うと、ご利益も相当のものだろうなと思いました。
山寺駅に戻り、1時間ほどの滞在で仙台へと戻る電車に乗り込みました。
次に塩釜市の桂島へ行こうかとも思いましたが、船の時間が合わないので、塩釜神社へお参りすることにしました。
東北本線の塩釜駅で降りて、神社まで歩きました。
裏参道から神社に入り、長い階段を登ります。
境内に着くと、山寺とは違って塩釜神社は観光客がほとんどといなく、とても静かでした。
お盆休みは山寺よりも塩釜神社の方が落ち着いていて良いな、と思いました。
そして参拝を終えて、本塩釜駅から仙石線に乗り込み、高城町駅へと戻りました。


【復旧した区間を走る石巻線(2014/08/14)】


【女川町内(2014/08/14)】


【金華山行き観光船のりば(2014/08/14)】


【岸壁の修復が進む女川(2014/08/14)】


【金華山行き観光船にて(2014/08/14)】


【岸壁の修復が進む女川(2014/08/14)】


【東北電力・女川原子力発電所(2014/08/14)】


8/14()は、金華山へ行きました。
松島町を午前9時に出発して、10時過ぎに女川町の金華山行き観光船乗り場に到着しました。
辺りは瓦礫の撤去が済み、一面の野原となっていました。
丘の上に立つ町立病院まで津波が押し寄せてきたと聞き、自然の恐ろしさを改めて感じました。
金華山行きの船は、以前はとても大きな豪華客船で、小さい船に変わったことは聞いていましたが、思ったよりも小さな船で驚きました。
しかし、時速80kmも出る高速船で、東北・北海道では一番早い船だとアナウンスがありました。
船は動き始めると本当に早く、女川町から金華山まで40分で着きました。
途中、女川原子力発電所も眺めることができ、とても興味深かったです。
船を降りて金華山黄金山神社の送迎バスに乗り込み、社殿へと向かいます。
参道は震災で地盤の緩んだところに、9月の豪雨で崩壊してしまい、それからボランティアの方々の力で車が通れるくらいにまで補修が進んだそうです。
ガタガタする参道を車で登り、社務所で御祈祷の申し込みをしました。
それから待合室に案内していただき、神主さんにご挨拶をしました。
まもなく御祈祷の準備のために移動し、親族総出のお祈りをしました。
巫女さんの舞いを拝見し、金の鈴を「ジャラジャラジャラ」と鳴らした音は、まるで小判が天からたくさん降ってくるような音でした。
金華山は3年連続でお参りすると、一生お金に困らないで暮らせるという言い伝えがあります。
御祈祷で一緒になり、帰りの船で居合わせた男性は、目黒区在住でインドネシアのジャカルタとバリでレストランを経営されているという方で、金華山にお参りしてからお店が繁盛するようになったということで、以来毎年お参りに来ていると仰っていました。
金華山は牡鹿半島の先端部にあり、鮎川港までの道のりは大変険しく、女川港からの船便は1日に1往復しか運行されず、車で行き来ができるようになった現代でも、その道のりは遠くなっています。
その分、金華山のありがたみは膨らみ、ご利益もあることでしょう。
就職を機に参拝しましたが、これから3年連続でお参りできるように、日々の生活をがんばろうと思いました。
金華山の滞在は1時間半あまりで終わってしまい、帰りの船に乗り込みます。
帰りは早く感じるのはなぜなのでしょう。
40分の旅路は行きよりも短く感じました。
午後2時過ぎに女川町へ到着し、ここから石巻市へと車を走らせます。
午後3時に回転寿司で食事をして、ショッピングセンターで買い物を済ませてから松島町へと戻りました。
夜は従兄弟たち4人で海の近くにあるバーへ行きました。
お手頃価格にも関わらず、食事とお酒はとてもおいしく、店内はアンティークの家具を用いたエレガントな雰囲気で、私のお気に入りのお店です。
お店を出ると満天の星空に爽やかな風が吹き、松島はとても良いな、って思いました。
このような静寂が都会にはありません。
人工的な公園でのんびりとすることができるでしょうか。
都会の生活になかなか馴染めないでいる私がいました。
この日は家に戻ってから二次会を開き、のんびりと語り合いました。


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


【松島流灯会「海の盆」(2014/08/15)】


8/15()は、お昼過ぎに東京へ車で戻る従兄弟家族を見送り、午後は涌谷町へお墓参りに行きました。
普段は空いているお寺も、今日は多くの車が止まっていて、お盆休みを実感しました。
涌谷町の家は震災で取り壊しになってしまい、不便な場所にあったので家を建て直すことはせずに、家主は大崎市古川に移りました。
今は涌谷町にお墓だけが残っています。
お墓参りのあと、県道沿いにある「おやつショップ」へ寄って、ソフトクリームを食べて、松島町へと戻りました。
夜は松島町のお祭りへ出かけました。
あいにくの雨模様で、降ったり止んだりを繰り返していましたが、大人数で出かけ、盆踊りと灯篭流し、花火を眺めながら生ビールとから揚げ、たこ焼きを食べました。
漏電で提灯の電気が落ちました。
その時に、松島町で学校の先生になった大学の同級生が、声を掛けてくれました。
まさか松島町のお祭り会場で知っている人に会うなんて思っていなかったので、とても驚きました。
そして声をかけてくれて本当に嬉しかったです。
仕事中のようでゆっくり話すことはできませんでしたが、お互いにがんばろうということで分かれました。
生ビールを飲んでほろ酔いになりながら、瑞巌寺周辺を散策しました。
お祭りは晴れるに越したことありませんが、雨の夜も風流だな、と思いました。
たくさん歩いたので、家に帰ってもう1杯飲んだらすぐに寝てしまいました。


【福島駅(2014/08/16)】


【福島駅(2014/08/16)】


【福島駅(2014/08/16)】


8/16()は、1週間の滞在を終えて、東京に戻る日です。
松島駅を午前1109分に発車する仙台行きの電車に乗りました。
お盆休みの土曜日、午前中の上り電車ということもあり、車内は貸し切りに近い状況でした。
仙台では15分ほどの乗り換え時間を挟んで、仙台駅1149分発の「臨時快速・仙台シティラビット号」に乗りました。
2両編成の車内は、大きな荷物を抱えた乗客がほとんどで、名取、岩沼、大河原、白石に停車しましたが、そこでの乗降客はほとんどなく、福島駅まで向かいました。
仙台駅から1時間あまりの1258分に福島駅に到着しました。
東口に降りて菓匠三全で新商品のロール巻を購入し、アルバイト先へ向かいました。
社長とは6月にお会いしてからまだ2カ月しか経っていないにも関わらず、温かく出迎えて下さいました。
先日は福島産の甘い桃を送ってくさり、その御礼も兼ねて、今回は福島市に立ち寄りました。
都会で働くことに嫌気が差していた私にとって、社長との会話から気づかされることはたくさんありました。
その中でも、これから先10年の話は、将来像を描くのに有意義でした。
私は、東北で仕事をしたいと強く思っていますが、大学で震災に遭遇し、普通では体験できないことを福島県で経験することができました。
そして大学を卒業し、東京で働き始めましたが、東京では今アベノミクスの好景気とオリンピックに向けた明るい空気の中で、前向きな世界が広がっています。
上がり調子の世界で社会人として掛け出しの時期を過ごすのは、後に振り返った時に大事なことなのかな、と気づきました。
オリンピックが終わった時に振り返り、景気が上向き始めた頃と、大きなイベントを終えた後とでは何が変わり、何が変わっていないのか、そこをよく見ておく必要があるのかもしれません。
震災後、東京への一極集中が一段と進み、日本の中心としての機能が強化されているように思います。
地方ではいつのまにかにチェーン店が増え、東京ではアルバイトを中心に外国人労働者が当たり前になりました。
そして都心部ではあちこちで工事が行われており、一方では古い建物をリニューアルして使い続けるという、ヨーロッパ的な生活スタイルも定着してきました。
高層階のオフィスで東京タワーを眺めながら仕事をして、山手線の内側に住むという夢をやっと実現したので、これからは10年後に東北で役に立つスキルを身につけることを目標に、がんばっていこうと思います。
就職してから東北に来たのは、今回で4回です。
東北に来るたびに、これからの将来像が具体的に決まっていきます。
時々こちらにお邪魔させていただきながら、東京でしか出来ないことを経験して、20年後の将来像を具体的に描いていきたいと思います。
アルバイト先の社長に相談をして、少し光が見えてきたかな、と思ったところでお店を後にしました。
福島駅西口のイトーヨーカドーに入るポッポではお決まりのメガポテトを注文しました。
レジのおばちゃんは私のことを覚えていてくれて嬉しかったです。
新幹線改札は混雑しており、その脇にある「みどりの窓口」で湘南新宿ライン「宇都宮~池袋」の普通グリーン券を購入しました。
福島駅午後428分発の黒磯行き電車は、発車の30分前から座席の占有が始まっており、腹立たしく思いながらも適当な席を見つけて腰掛けました。
大きな荷物を抱えた乗客をたくさん乗せて、福島駅を後にしました。
車窓には、南福島、金谷川、松川と見なれた光景が広がります。
金谷川では知っているようで知らない顔がたくさん並んでいて、こうして「今」は「過去」へと流れてしまうのだな、と実感しました。
電車の中で1週間の夏休みの思い出をまとめながらふと車窓の外に目を向けると、夕日に照らされたススキが揺れていました。
那須高原を越えて黒磯駅で乗り換えると、いよいよ首都圏です。
また近いうちに東北へ帰ります。
その時はまた、お世話になります。

(おわり)

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