2013年4月14日日曜日

【国内旅行】いにしえの都をたずねて『そうだ京都、行こう』


44()は、午前6時半に起きた。
一晩を共に過ごした勤めの友人をホテルの部屋から見送り、天気も良かったのでこのまま1日をスタートさせようかとも思ったけど、睡眠不足のために途中で疲れたらせっかくの旅行が台無しになってしまうので、二度寝することにした。

次に目が覚めたのは10時過ぎだった。
ホテルは正午までにチェックアウトすれば良いので、まだまだ余裕である。
シャワーを浴びて水を飲み、身支度を整える。
11時にチェックアウトして、いざ出発。
フロントの執事に「『551HORAI豚まん』を食べたいのですが」と伝えると、ハガキサイズの地図を取り出てスマートに説明をしてくれる。
ホテルの部屋からの眺めも良く、良い1日は優雅な朝から始まるのだなと思った。
この時はまだ知らなかったのだが、私のイメージでは551HORAIは豚まんの専門店で、屋台のようなお店で営業しているのかと思っていたが、実際に行ってみたら王将よりも落ち着いたエレガントな中華料理店であった。

ホテルを出て、フロントに言われた通りに道を進む。
みずほ銀行の角を右折して、「ドーチカ」と呼ばれる大阪駅に直結した地下街を歩くとまもなく、左手に551HORAIが見つかった。
まだ昼前ということもあり、店内は空いている。
早速、お店に入って豚まんとマーボー卵丼を注文。
関西弁の威勢の良い声が店内に響き渡る。

ほどなくして注文した料理が運ばれてきて、豚まんを口に含むともっちりとした触感にジューシーな豚肉がとろけ、「これ噂の551豚まんなのか!」と感激する。
その味は今までに食べた豚まんの中で最もおいしく、それでいて値段が良心的なことに驚いた。
マーボー卵丼の方もなめらかで、大変満足だった。
王将も551も、値段の割に量が多くておいしい。
サイゼリヤや幸楽苑のように、とにかく安く提供する東日本のレストランとは違い、どうして大阪のレストランは安くおいしく提供できるのだろうかと、不思議に思った。

大満足の551を出発して、ドーチカを歩く。
梅田駅を1210分に発車する阪急京都線の特急電車に乗り、一路京都をめざす。
10分間隔で特急が走る阪急京都線は、昼時の電車でも座れないほど混雑しており、JRの新快速には劣るものの時速115kmで走る。
1244分に桂に到着し、ここで阪急嵐山線に乗り換えるのだが、タイミングが悪く、嵐山まで7分の区間のために16分も待ち時間が生じてしまった。
その間に花見客が増えてきて、13時に桂を発車した時には、朝の山手線みたいな状況になっていた。



(阪急嵐山駅)


1307分、満開の桜が舞う阪急嵐山駅に到着した。
ここから渡月橋を渡り、嵐電の嵐山駅をめざす。
平日の木曜日にも関わらず、桂川の両岸は花見客で大変賑わっており、春の京都ということである程度は覚悟していたから良かったものの、これ以上の混雑であったら少し萎えたかもしれない。
しかし、一瞬の間に咲き誇る満開のソメイヨシノの下では、このくらいに花見客が湧き出た方が合っているのかもしれない。

渡月橋を渡るにも時間がかかるが、1人で自分のペースで回れるので、特にストレスは感じない。
立ち止まっては写真を撮り、また立ち止っては物思いにふけった。
渡月橋の周辺におみやげ店がいくつも軒を連ねるが、そのうちの1店舗でもしっかりと観光事業を確立させて、京都で得たノウハウを元に日本各地でチェーン展開しないものかと、ビジネスチャンスを考えたりもした。
国内のおみやげ店はどこも小規模で経営しているイメージである。
最近の様々な業界に見られる「産業化(人々の生活に欠かせないもの)」にできないのだろうか。
コンビニエントストアやファミリーレストランのように、おみやげ屋も、有名な企業をいくつか挙げられるような状況になれば、価格交渉力も持つようになり、より消費者に有利になるのではないだろうか、と考える。
渡月橋のおみやげ屋がやらなければ、おそらくは星野リゾートあたりがおみやげ店の大規模運営にでも乗り出すのかな、と考えたりして春の嵐山を散歩した。



(桂川を渡る屋形船)


つづいて嵐電「嵐山」駅を1343分に発車する四条大宮行きに乗る。
多客期のためか2両編成での運転であったが、それでも乗り切れないほどに混雑していた。
私の向かいには、制服からしておそらく修学旅行で来ている海城中学校の生徒が、自由行動で規則を破った行動をしているらしく、担任の何と伝えるべきかと言い訳を考えて盛り上がっていた。
途中の帷子ノ辻駅で北野線に乗り換え、御室仁和寺駅で下車。
予定では、仁和寺から龍安寺、下鴨神社、八坂神社、円山公園、清水寺と周遊するつもりだったが、京都御所の一般公開がなされているということで、龍安寺の代わりに京都御所へ出かけることになる。

仁和寺は初めてだった。
他の桜よりも遅咲きだと知らずに御室桜を見に仁和寺まで出かけたわけだが、まだつぼみの段階で少しがっかりした。
とても暖かく歩き疲れても来たので、御室仁和寺駅に戻って自動販売機で500mlCCレモンを買って、ひと休み。
ふたたび混雑した嵐電に揺られて、北野白梅町へ。
ここで路線バスに乗り換え、烏丸今出川バス停留所で降りる。
1530分までに入場しなければならない京都御所に、ぎりぎりの1529分に到着した。
慌てて入るが、まだまだ後ろには見物客が連なっており、大学の窓口とは違って遅れても少しは余裕に見てくれるところがありがたかった。

京都御所の内部は、決してかつて天皇が住んでいたとは思えないほどひっそりとしているものの、隙間なく巡回している宮内庁の職員と警察官が、かつての宮廷の護衛を思わせて愉快だった。
中でもメインとなる紫宸殿は、1855年に再建されたものではあるが、平安時代から昭和天皇までの約千年にわたって天皇陛下の即位がなされた所であるのかと思うと、日本の伝統文化への誇りを感じた。
ここには中国人観光客はおらず、ほとんどが日本人であり、時折欧米人も見受けられたが、彼らも静かに黙って見学しているのを見て、天皇陛下の崇高さを勝手に再認識した。



(千年の歴史がある紫宸殿)


日が傾いてきて、次は歩いて下鴨神社へ向かった。
ここも参拝は17時までと聞いていたが、実際に到着したのは1655分。
あわわとなって詣でたが、提灯に明かりが灯って、しばらくは参拝できるようであった。
下鴨神社は、農耕の神さまであるが、恋愛にも力をあるというので、数日前に別れた恋人のことを詫びつつ、次の出会いをよろしくお願い奉り申し上げると伝えてきた。

下鴨神社を出た私は、加茂川の桜を見ながら、出町柳駅へと向かった。
京阪電車に乗り、鴨川に沿った地下を南下する。
祇園四条駅で降りると、今度は今までの落ち着いた出町柳とは異なり、賑やかな夕方の祇園に出た。
八坂神社の境内を抜け、めざすは今回の旅行のクライマックス、円山公園の夜桜である。
境内にはいくつもの屋台が出ており、春の夜の京都を演出している。
円山公園に着くと、夜桜見物のための畳を敷いた屋外店舗が出来ており、絵に描いたような宴会が広がっていた。
そしてメインとなる円山公園の祇園枝垂桜は、老いは感じるものの、これまで何万という人を感動させてきた風格が整っていた。



(円山公園の宴会風景)


(闇夜に浮かぶ祇園枝垂桜)


 歩き疲れて甘いものが食べたくなったので、円山公園ではお店のクレープを食べて、エネルギーをチャージ。
復活して円山公園から清水寺へと歩いて行った。
夜の二年坂は落ち着いており、急な階段を登って清水寺へ。
清水寺周辺は相変わらずの人であるが、ここ数年で海外を歩いて来て、気が付いたら無意識のうちにバッグを身体の前にしてスリに合わないように対策できるようになっていた。

夜間入場料400円を払って、清水寺の夜桜へ。

清水の舞台と共演する京都市内の夜景は、とてもきれいだった。


(清水寺と京都市内の夜景)


1930分過ぎに清水寺を後にして、京都駅まで路線バスに乗ろうかとも思ったが、あとは夜行バスで寝ればいいだけなので、歩くことにした。
国道1号線を跨いで、京都国立博物館の角を左折。
左手に三十三間堂を見ながら、鴨川を渡って京都駅烏丸口へ。
30分近く歩いた。

京都駅に着いて、夜行バスののりばを確認。
旅の最後はお決まりビールを1杯飲んで、ハンバーグを食べる。
程良い満腹感で、バスの発車場所へ。
「福島」方面の看板を持ったところで名前を告げる。
すると、「リストにお客様のお名前がありません。」ということで、「あれっ!?」となったが、よく聞いたら「福岡」行きのバスであった。
その福岡行きの隣が、「仙台・福島」方面であり、危うく大変なことになるところであった。

2110分、郡山・福島経由の仙台行き夜行バスは、京都駅八条口を出発。
1時間半ほどで1回目の休憩である滋賀県の多賀SA
まもなく米原JCTで東京方面と分岐して、深夜の北陸道を進む。
2回目は富山県と新潟県の県境にある越中境PA
次に目が覚めた時には日が昇り始めたころで、磐越道の磐梯山SAであった。
磐梯山SAはサービスエリアでありながら早朝のためかお店がすべて閉店しており、除雪された雪が片隅に残されていた。
吐く息は白く、東北に帰って来たのだな、と実感した。
しばらくして郡山駅に到着し、「仙台へお急ぎの方は、鉄道をご利用ください。」とのアナウンスが流れる。
郡山駅を出て国道4号線を走っていると、バスは突然ガソリンスタンドに入った。
営業運行中のバスがガソリンスタンドに入るのには、驚く。
以前にも山形の奥地で、路線バスがガソリンスタンドに入って、予定していた電車に乗り遅れたという経験があったが、これが東北時間なのだろうか。
普段の日本のサービスレベルの高さを認識させられる。

帰りのバスは満席で、隣は優しいおじさんだった。
聞くと、岩手と奈良を月に2回往復しているらしい。
京都を出発した時には簡単なあいさつで済ませ、磐梯山SAから福島までの2時間ほど話をした。
彼は天理教の信者だと言い、自宅のある岩手の花巻と奈良の天理を往復しているのだという。
私は宗教に関心があり、仏教系の宗教信者は知り合いがいるが、教派神道は初めての出会いだったので、少し話を聞いた。
天理教の教徒は一生に一度は天理市へお参りに行かなければならず、天理市は城壁で囲まれた宗教都市だという。
イベントの時には人口の2倍くらいの観光客が集まると聞き、私も次は天理へ社会科見学に行ってみたいな、と思った。

この天理市の話から、私は思いついた。
もし福島県に例えば『放射能之光』とかいう宗教ができ、信者を獲得して聖地巡礼を義務付ければ、原発事故による風評被害はなくなるのではないかと。
さっそくこのことをヨーロッパ経済に詳しい指導教授に相談。
そうすると教授は関心を寄せて話を聞いてくれた。
教授によれば、チェルノブイリ原発の事故のときにも海外の新興宗教が入ることはあったが、現地から新しい宗教が生まれることはなかったと言っていた。
ちなみにそのひとつが、過激化したオウム真理教である。
もし放射能が人体に有効であるということを科学的な視点以外で論理的に証明できれば、宗教をつくることができる。
人口流出が止まらず、未来が真っ暗な福島に、変わった視点からの地域振興に貢献できるだろうと思う。
ただ、宗教の開祖になることはリスクが大きいので、私は妄想程度にとどめておくこととする。

さて、夜行バスはガソリンスタンドを出て本宮ICから東北道を北上し、福島西ICで降りる。
45()の午前8時。
予定通りの時間に福島駅へと戻ってきた。
私はここから811分発の東北本線上り電車に乗り、8時半に部屋に到着。
こうして34(うち車中泊2)のいにしえの都を訪ねる旅は、無事に幕を閉じたのであった。

遠いところの桜は、より美しく見えるものですな。

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