2012年11月5日月曜日

【PC投稿】福島に生きる

日曜日、友達と福島市内の居酒屋で飲んできました。
彼は大学の内外問わず被災地福島を全国に向けて発信しており、最近ではテレビへの露出も増えてきた学生です。

19時に福島駅東口改札で合流し、繁華街をぶらぶら。
1軒目に入った居酒屋はテレビの音量が大きくあまり落ち着かなかったので、生ビール1杯と焼き鳥3本を食べて2軒目へはしご。
今度は隠れ家のような居酒屋に入り、こちらでは久保田と八海山を2合ずつ飲んで話がはずみました。

その中で、「結婚して生まれてくる子どもが、もし奇形児だったらどうする」という話になり、もしそうなったら自分を恨む、ということでした。
公式では安全だと言われている福島でありますが、最近になって「18歳以下の1人が甲状腺がんと報告」や「抗がん剤研究所を2年前倒しして急いで設置する」などといった報道が出てきて不審に思っております。
議論では、福島が危険か安全かはまだ分からないが、少なくとも他の地域に比べてリスクがあるのは事実で、そのリスクを冒してまで福島で大学生をやるには相応の覚悟が求められるのだ、という結論に達しました。

他ではできない経験をできるということは、差別化できる大きな付加価値であると同時に、危険が伴っているということです。
そのような環境下で、他の地域の大学生と同じようにただ授業に出て、ただサークル活動をやって、ただアルバイトをする、というのでは、リスクが大きすぎます。
私はあと1年4ヵ月で大学を卒業するわけですが、その後も福島で生活するのか、それとも他の地域へ行くのか、真剣に考えなければなりません。
もし福島で生きるとするのであれば、しょせんよそ者の私がこの過酷な環境に耐えられるのか、また逆に福島から出るのであれば震災後3年間暮らした福島という特殊な場所について自分の人生に今後どう生かしていくのか、正面から向き合っていかなければならないのだな、ということを再認識させられた飲み会でした。

これまで公認会計士になることを信じて学生生活を送ってきましたが、「就職活動をしようと思います」の一言から約1ヵ月前に指導教授から大学院を薦められました。
大学院進学など視野に全く入っておりませんでしたが、これを機にまた違った方面への進路も考えるようになり、もう一度自分の足元を見るきっかけとなりました。
もし大学院へ進学するとすれば、これまで3年弱続けてきた会計の勉強からは離れて、震災復興と社会コミュニティの構築という方面で研究を行うつもりです。
これまでは、どの職業であれば食えるか、ということを第一に進路を選択してきました。
しかし、最近は逆で自分の興味あることは何で、自分は何を仕事にしたいのか、ということに主眼を置くようになりました。
食える職に就くのではなく、好きな職を食えるようにする、と考えています。
そうなると“就社”活動をする多くの周り一般の学生とは道が分かれてきます。
やりたいことが絞れているので、情報の洪水に溺れてエントリーシートの波に飲まれることなく、自ら主導して“時期”を越えて行く予定です。
それは周りからは奇異な目で見られ、特にバブル期より以前に就職活動を経験した方々からは注文が多くつきます。

これからも焦らず、福島に生きているということに覚悟を持って自分のペースで進んでいこうと思う日曜日でした。

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