2013年12月24日火曜日

クリスマスの約束

(2010/12/23 JR釜石駅にて)


日付けが変わって12月24日、クリスマスイブになりました。
今年は雪が多いのか、11月から雪がちらつきはじめ、12月上旬から何度か積もっています。
大学のある山の上は、3日前に降った雪がまだ解けきらずに残っています。
でも今年は風が弱く、強風で電車が止まることはありません。
毎年11月下旬から12月中旬にかけて、特に12月上旬は北風が強く、日記を読み返してもストレスになっていたのが読み取れます。
しかし今年は風の代わりに雪が降っているみたいです。
雪は白くてきれいで、つめたくて、私は好きです。

イブイブの23日は、夕方まで部屋でぐだぐだしていました。
日が暮れて活動をはじめ、電車に乗って南福島のゼビオへ行きました。
暖かい服がほしいなぁ、靴もほしいなぁ、なんて思って行ったら、ついついあれもこれもと衝動買いしてお会計1万4千円也。
今年は一緒に過ごしてくれる女の子もいないし、自分にクリスマスプレゼントだと思って、値札も見ないで欲しいものを買い物かごに突っ込んで行きました。
そして夕飯は近くの大阪王将で天津飯ラーメンセット。
南福島の大阪王将とか、4年も住んでいて初めて行きました。
東日本にはお店ないけれども、551蓬莱の方がおいしいなぁって思いました。
ゼビオで家族連れとかカップルとか夫婦とか、いろんな人たちが買い物に来ていたわけですが、微笑ましいなぁと思いつつ、一緒にジョギングとかしてくれるパートナーと出会えたらいいなぁ、なんて想像していました。

卒業論文、なんとか結論までたどり着いたので、指導教授に提出しました。
ただいまコメントを待機しています。
2011年3月11日に東日本大震災を福島で経験して、本格的に震災復興に向き合い始めたのが、12月。
きっかけはJASPでしたね。
JASPは、福島大学の意識高い学生のほとんどが何らかの形で関わったのではないでしょうか。
その後は、前の指導教授について震災が福島の経済に与えた影響などを調べていって、2012年9月には中国四川省で四川大地震の復興に関するフィールドワーク。
今年の3月で前の指導教授は新潟大学へ異動となり、路頭に迷いかけた私を救ってくださったのが今の指導教授です。
2011年12月からずっとずっと震災復興のことを考えていて、2年がかりで書き上げた卒業論文が「東日本大震災における広域支援メカニズムの考察2008年中国四川大地震におけるペアリング支援の検証をもとに―(仮)」。
今の指導教授はご専門がヨーロッパ経済であるにも関わらず、中国を題材としている扱いにくいこの私をよく指導して下さっていると感謝しています。

先日、春から渡米する友達と福島駅近くのサイゼリヤへ行きました。
「福島駅から東北本線に乗って、山の上の金谷川駅へ向かう途中の夜景がきれいだよねー」っていう話もほどほどに、なんで今の進路を選んだのか、という話になりました。
私は幼いころから電車に乗って出かけるのが好きでした。
小学生くらいまで電車の運転士になりたい、と思っていましたが、それもどこへやら、いつにまにか夢は総理大臣に変わっていました。
テレビのニュースで、社会が抱える課題に興味がって、私が政治家になれば一変に変えられるはずだ、と思ったからです。
しかし慶應義塾大学の政治学科へ進学できるわけでもなく、親から離れたところで仕送りをもらってのんびりスローライフを送ります。
初めての一人暮らしで、念願の東北暮らしで、私は授業の合間を見つけては東北中を駆け巡りました。
いちご狩り、さくらんぼ狩り、桃狩り、ぶどう狩り、東北から離れた広島ではみかん狩りまで体験しました。
そんな中で特に惚れた街は、青森県の弘前でした。
4年間で弘前は春夏秋冬、全部行きました。
最初に文字通りの東北一周をしたのは、大学1年のクリスマスでした。
前日はらくだのたまごでサークルの忘年会があって、前にやさしい先輩が座って、思い出の飲み会になりました。
そこから翌日の始発電車で仙台まで出て、そこから気仙沼、大船渡を通って盛駅から三陸鉄道に乗車。
盛駅でシチューを配っていて、そこに遭遇した私が岩手日報の記者に取材されて翌日の新聞に載って、車窓から見える家の立派なことを聞けば気仙大工の話を教えてもらい、三陸鉄道に乗ったら産直列車という地元で観光振興をやっている奥さんと仲良くなって、釜石駅のひとつ手前の平田駅で降りて鉄の資料館に寄って、そのあと国道45号線沿いに釜石市内まで歩きました。
海岸沿いには「津波、逃げろ」と看板があったりして、三陸が何度も津波に呑まれてきた歴史を感じて、釜石からJR山田線で宮古へ出て、宮古に泊まって翌日は浄土ヶ浜とか行って、三陸鉄道とJR、青い森鉄道を乗り継いで三沢に立ち寄って、2日目のクリスマスイブは青森市の雲谷高原に宿泊。
3日目に青森の友人と会って、4日目に秋田、5日目に山形と抜けて福島に戻りました。
もし、震災がなければクリスマスの東北一周旅行をここまで深く記憶することはなかったと思います。
昨年のクリスマス、ほぼこの逆ルートで東北一周をしました。

2011年3月11日以後、くりかえしくりかえしテレビで見せつけられた津波の脅威。
2年が経ってがれきの撤去が済み、スーパーゼネコンは強く関与せずに地元主体で動き始めた復興。
卒業論文には、4年間、目に焼き付けた東北を思い出しながら、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、中国四川大地震、東日本大震災の論文と当たりながら書いていきました。
もっと専門的に勉強して、この道を究めることも一度は考えましたが、それはやめました。
次に大規模な災害が起きるようなことがあれば、行政面ではなく、民間企業・1市民から復旧・復興に関わっていきたいと思っています。
さて、話は電車の運転士に戻りますが、ある時、私は電車を運転したいのではなく、電車に乗って出かけたいのだ、ということに気がつきました。
建前では偉そうなことを言っていますが、出張が多い、というのも今度の会社を選んだ1つの理由でもあります。
野村のビジネスマンはシンガポール出張でも日帰りだとネタにしています。
さすがにそこまでやると人間離れしていますが、全国に支店を持っている会社よりも、首都圏と京阪神にしか拠点を持っておらず、そこから日本中へ電車に乗って出張するほうが私のとっては理想的なのです。
三つ子の魂百まで、と言ったところでしょうか。

小田和正とTBSが毎年放送している「クリスマスの約束」。
13回目の今年は、12月25日(水)23時19分から2時間にわたって放送されます。
クリスマスにしても、お正月にしても、毎朝のジョギングにしても、誰かと一緒であることが、一番の幸せなのかもしれません。
メリークリスマス。

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