2013年5月22日水曜日

【読書記録】カール・ポラニー『大転換』



カール・ポラニー(1975)『大転換―市場社会の形成と崩壊―』
吉沢英成, 野口健彦, 長尾史郎, 杉村芳美 , 東洋経済新報社

本書は、第二次世界大戦中にアメリカで書かれた。
ポラニーの目的は、19世紀に全盛となった市場経済というひとつの特殊な経済システムのもつ社会的な意味を明らかにすることである。
本書で、複雑な絡み合いと諸矛盾とを克服するためには、相互依存しあう人間の包括的な結合統一を発見するときであると示唆している。
本書は、第一部「国際システム」、第二部「社会の自己防衛」、第三部「トランスフォーメーションの進行」から構成されており、第一部では、産業革命を前後とする19世紀から20世紀初頭にかけての歴史を追っている。
第二部では、社会の中における市場の役割について説明しており、また、その市場が人間に及ぼした影響について述べている。
第三部では、社会の変化に導かれて政治も変化しており、いっそう高度で複雑になる産業社会の課題について述べている。

通常われわれが行っている取引行為について、古代では財の地理的偏在の結果による遠隔地取引が行われていたことを示すために、本書では、
「取引は必ずしも市場を伴わなかった。対外取引は、もともと、交換というより冒険、探検、狩猟、海賊行為そして戦争といった性質を帯びたものである。それは、双務性だけでなく平和生をもほとんどもちあわせていない。たとえその二つを持ちあわせていたとしても、対外取引は、通常、交換原理ではなく互恵原理にもとづいて組織される。」(p.79,L.13-L.16)
と述べている。
しかし、この取引が平和的交易へと移行していき、もっと後の段階になると、市場が対外取引において支配的になると説明している。
「新しい全国市場は、当然、ある程度まで競争的ではあったが、支配的であったのは競争という新要素ではなく統制という伝統的特徴であったということ」(p.88,L9-L.10)
とまとめている。

市場システムの発展に伴い本書では、
「労働とは、雇用者としての人間ではなく被雇用者としての人間について用いる専門語であるから、労働の商品化以降、労働の組織は市場システムの組織とともに変化することになる。しかし、労働の組織とは民衆の生活様式そのものの言い換えに過ぎないのであるから、このことは、市場システムの発展は社会組織自体の変化を伴うということを意味する。人間社会は、ことごとく経済ステムの付属物と化してしまったのである。」(p.100,L16-p.101,L2)
と述べている。
商品化された労働力が市場に密接につながり、かつて人間主体であった社会が、経済主体の社会へと代わってしまったことを示しているようである。

貧民を救済するのではなく労働を強制する目的を持ったエリザベス救貧法に代わり、巣ピーナムランド法の下では、賃金が法律で認められた一定額の家計所得に達しないかぎり、雇用されていても救済の対象とされた。
このことは、最低賃金制度が整備されていないにも関わらず、所得を保障してしまったがために、
「雇用主がどんなにわずかな賃金しか支払わなかったとしても、地方税からの補助金が労働者の所得を規定の額にまで引き上げてくれたからであった。」(p.106,L6-L.7)
という問題を引き起こした。
本書では、
「長期的には、結果は身の毛のよだつようなものとなった。大衆の自尊心が賃金よりも投資を好むような低水準にまで落ち込むには、若干の時を要しはしたものの、賃金が公共の基金から助成されることによって結局は底なしに低下することになり、大衆は税に頼るようにと駆り立てられることになった。次第に、地方の人々は貧困化した。『乞食は三日やったらやめられない』という金言は、まさしく真理であった。給付金制度の長期的影響を抜きにして初期資本主義の人間的・社会的大敗を説明することは不可能であろう。」(p.107,L5-L.9)
と述べている。
このことは、今日の日本で社会問題となっている、生活保護の制度にもひとつの議論の余地を与えていることだろう。

貧困の一層の悪化と税率の引き上げは、今日いうところの潜在的失業の増加によるものであろう。
貿易の増加に伴い、
「貿易の急増が貧民の困窮をますます増大させる兆を生みだしたということがはじめて注目されるようになった。」(p.123,L5-L.6)
と述べている。
これは貿易の増加で地域的分業が急激に広がり、都市と農村における格差の急拡大と、社会不安を導いた。
ポラニーは、
「農業が都市の賃金と張り合えないことは、はっきりしている。」(p.127,L1)
と述べている。

工場の増加は、地域的分業の広がりを可能にし、市場経済の発展に寄与した。
社会構造が変化していく中でポラニーは、
「収益と利潤の原理にもとづく社会全体の編成は、重大な結果をもたらすに違いない。オーウェンは、これらの結果を人間性との関連で定式化した。」(p.174,L.1-L.2)
とオーウェンの思考に興味を示し、
「彼は所得ではなく、退廃と悲惨とを強調して、真理をついた。また、この退廃の主要な原因として、ぎりぎりの生存が工場に依存しているという点をやはり正しく指摘した。彼は、主として経済的問題だと思われていたものが基本的には社会的問題なのだという事実を理解した。」(p.174,L.10-L.12)
と述べている。
当時の労働環境がいかに厳しいものであったのかということを目にしていたに違いない。

市場経済の発展に伴い富が蓄えられていったが、強弱の差別が発生することによってバランスも崩れ、市場システムの自己調整機能は機能不全に陥った。
本書では
「自由主義理論においては、イギリスは、貿易世界においてはたんなる一原子であり、デンマークやグァテマラとまったく同じ地位にランクされていた。実際には、世界は限られた数の国からなり、貸付国と借入国、輸出国と実質的な自給自足国、種々の輸出品をもつ国と輸入・借入を小麦と化コーヒーとかのような単一商品の販売にのみ依存する国、などに区分できる、こうした差異は、たとえ理論上は無視しうるものとしても、実際上は、それらの重要性を理論におけるようには無視することはできない。」(p.280,L.4-L.8)
と記した上で、
「だが、こうなるためには、関係国が多かれ少なかれ世界分業システムに平等に参加していることが必要であったのだが、しかし、これは断然、事実とは相違していた。」(p.280,L12-L.14)
と述べている。
「しかし、借款は、武力介入の脅威のもとでのみやっと返済され、貿易航路は砲艦のたすけによってのみ維持され、進攻する政府の要求に応じて国旗がはいりこみ、その後ろから貿易がついていく、こうした事態が度重なれば重なるほど、世界経済の均衡を保つためには政治的手段が用いられねばならないのだということがますます明白になってきたのである。」(p.281,L8-L.11)
これは、今日でも十分に通用する理論であり、国際分業の根本的な思想であると考えられる。

そこで機能不全に陥った経済システムを立て直すために社会主義思想を取り込んでいる。
「社会主義とは、自己調整的市場を意識的に民主主義社会に従属させることによってこれを乗り越えようとする産業文明に本来内在する傾向のことである。」(p.312,L15-L.16)
と述べた上で、
「全体としての社会という視点からすれば、社会主義は、社会を、諸個人のきわだって人間的な関係―西ヨーロッパではつねにキリスト教的伝統と結びつけられていた関係―に変えようとする努力の継続にすぎない。経済システムの視点からすれば、これとは反対に社会主義は、私的な貨幣所得を生産活動の一般的誘因とすることをやめ、主要な生産手段の処分を個人の権利とは認めないものであるいう点で、それは眼前の過去からの根底的な離脱である。」(p.312,L.18-p.313,L.4)
と示しており、
「財産権の実質的内容は立法府の手で再定義されるとしても、その形式的継続性の保証が市場制度の機能にとっては重要なことなのだ。」(p.313,L.7-L.8)
と、極端な政策に踏み切ったロシアの政策に修正を加えている。
しかし、ロシアは、イギリスやフランスに始まる市民革命の最後であったロシア革命と、1930年代のまったく新たな発展の一部を形成した革命との二つから構成されている。
「二つの革命のあいだにはさまれた時期にロシアに決断を迫った要因のなかには、国際システムの破綻という事態があったからである。」(p.330,L.11-L.12)
と述べている。

最後の第21章では、
「市場ユートピアを放棄することによって、われわれは社会の現実と向き合うことになる。それは一方を自由主義、他方をファシズムと社会主義に区分する分離線である。これら後二者の相違は、本来経済的なものではない。それは道徳的かつ宗教的なものである。」(p.346,L.2-L.4)
としたうえで、
「社会の発見はかくして、自由の終焉でもありうるし、あるいはその再生でもある。」(p.347,L.12)
と述べている。
これまで、労働に対し適切な賃金が支払われていれば、幸福な世界がやってくると信じていた私にとって、本文では
「ロバート・オーウェンは、彼の雇用している労働者たちについて、早くも1816年に『彼らがどれだけ賃金を得たとしても、彼らの多数は惨めであるに違いない……』ということに気付いていた。」(p.399,L.4-L.5)
と述べており、衝撃だった。
しかし、その解決策として
「それから一世代後、ロバート・オーウェンは労働者たちに退廃の原因を『幼少期における放任』と『過重労働』とに求め、その結果、『彼らは無知であるがゆえに、高賃金を得てもそれを有効に使うことはできない』と考えた。彼自身は、労働者には低賃金を支払い、まったく新しい文化的環境を彼らのために人為的につくり出すことによって、彼らの地位を向上させた。」(p.399,L8-L.11)
と示されており、今後の社会のあるべき姿について、これまで私がイメージしていたものよりも、おそらく正しいであろう示唆を本書から学ぶことが出来て、とても有意義であった。

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